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「自由な歌唱」「自然な歌唱」とは何か

自由に歌う人 上達のアドバイス

ボイストレーナーの浜渦です。歌や演技、話し方が上手くなりたいという方は非常に多いと思います。私も今だにそう思っていますし、その思いは一生変わらないと思います。なぜ上手くなりたいのかと問われますと、私は「感動を多くの方と共有したい」「想いを伝えたい」「生きている証しとして」…もちろん、自己顕示欲もあります!

みなさんも、うまくなるために、一生懸命練習したり、上手く歌う努力をし、時には声楽やボイストレーニングを習ったり、カラオケ教室に行ったり…という方もいらっしゃることでしょう。

しかし「確かに上手くはなったし、ある程度高い声も出るようになった」でも「いまいち自然さを欠いている」「自由に歌っていると言い切れない」という声もたくさん耳に入ってきます。私も再三書いておりますが「上手くはなってが面白くなくなった」「むしろ下手な時代の方が、感動があった」ということは、事実としてよく起こります。

今日は、自由に歌うとは何か?自然な歌唱とは何か?ということについて簡単に書かせていただきますね。

自由で自然な歌唱とは

自由に歌うとは一体なんでしょうか。私はこう考えます。

HIRO
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動物としての身体と呼吸のバランスと心地良さ」を決して失わずに、人間としての歌を歌うこと」

そこで初めて、その人らしく、個性を失わずに、相手に想いを伝えることができるのではないでしょうか。

もっと言いますと、間違えそうになったり、息がが続かなくなりそうになったり、高い声が出ないと思ったり、声が裏返りそうな時に「人間としての正解」を選ぶか、それとも「動物としてのバランス」をとるかということです。

 

HIRO
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人間としての正解とは、リズムや歌詞、メロディをきちんと守ること。動物としてのバランスとは、前回の「遠近法」で解説させていただいたように、客観性と自己主張の両方を持って「空間を自分のものにすること」とも言えるでしょう。これは動物の根源的な「心地よいバランス」だと考えます。

動物としてのバランス>人間としての正解

さて、歌において、人間としての正解か、動物としてのバランスのどちらを取るか…そんな時、動物としての心地よいバランスを優先していただきたいのです。

動物としての体と呼吸のバランスを優先するということは、楽譜的な発音・音程・リズムの正しさよりも、自分の気持ちを優先するということです。自分の中で「声を出さずにはいられない、歌わずにはいられない」気持ちになるまで声を出さない。また、体を、そんな気持ちになる楽器に作り変えるということです。

乱暴な言い方かもしれませんが、動物としての感動や心地よさを優先して、曲としての正解を一旦失うことを「甘受」していただきたいのです。

…たとえリズムが楽譜上のものより遅れたり、途中で予定外に何回も息を吸ってしまったとしても、またリズムが全体的に崩れようとも、バランスを保つことで高い声を諦めなければならないとしても、、動物としての感動と呼吸を失わないことです。なぜなら…

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その「動物としてのバランスを作り、保つこと」は、その人の個性や想い、表現を体と呼吸に宿すという行為そのものだからです。

その動物としての根源的な表現のバランスを保ちつつ、いかに曲に近づいていくか。曲と融合していくか。それが芸術というものではないでしょうか。そしてその努力こそ、本当の練習であり、鍛錬であると思うのです。

しかし、私たちは、幼少期から、自分の感性で感じるタイミングより、時間が来たので行動する。つまり、時間のルールを優先し、自分の表現は二の次という教育を受けてきました。これは日本人の勤勉で素晴らしいところである一方、自分を我慢し、時に殺して、とにかく周りに合わせるというところにも通じるでしょう。

HIRO
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歌はまず目的である自分の表現が最優先です。そこに手段である音楽や歌詞を融合させていくことが大切なのです。これこそ動物から進化した、人間にしかできないことではないでしょうか。

芸術は素晴らしけれど、誰にでもできるもの

芸術と言っても、それは素晴らしいけれども、大したものではありません。何となれば、それは誰にでもできる行為だからです。しかし、多くの方が誰にでもできるということを、忘れてしまっているとも思います。

かの岡本太氏はこう言っています。

芸術なんて、道ばたに転がっている石ころと等価値だ。芸術に憧れたり、芸術が大変なものだと思っているやつに芸術家がいたタメシはない______岡本太郎
私ごときがここまでは言えませんが、大きく頷いてしまうところではあります。

点数をあげるために、また上手く聞こえさせるために、動物としての感動や自然さや自由さを捨ててしまっては、その歌は一体何なのでしょう。目的と手段が逆になってはいないでしょうか。それは芸術からは離れていく行為のようにも思うのです。

結果最優先で自分を失う…偏差値的価値や、他人との競争心は多少満足させることはできるかもしれませんが、それではせっかく人間として生まれてきたのに勿体無いと思うのです。

その価値観の転換ができた時、経験があろうとなかろうと、才能があろうとなかろうと、老若男女を問わず、感動と共有を第一にしながら上達するのだと私は信じています。。

私たちは、歌う前に、音楽をやる前に、人間です。人間である前に動物です。進化の過程を考えた時、その自然な進化の過程を無視しないこと。どんなに優れた和声や、また発声法を手に入れたとしても、動物から、人間へ、音楽へ、その過程を捨ててしまってはそこに感動はなく、その人の伝えたいものは薄れてしまうことでしょう。

HIRO
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歌う前に、音楽をやる前に、人間です。人間である前に、動物であり、そこから進化した人間でなのです。動物から人間への進化。その両方を表現できてこその芸術なのではないでしょうか。

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