オンライン・レッスン◆ただいま入会金無料◆

初恋の思い出「トンネルのファーストキス」

能勢電鉄鶯の森トンネル(Googleマップより) ダイアリー

既にタイトルからしておっさんが書くのは気持ち悪いが幼稚園時代のことなのでお許しを。なぜこんなことを書く気になったのか?まあ覚えていることは書き留めておこうか。家族も知らないだろうから、そのうち見つけて「うわ〜、ないわ〜」となるかもしれないが。

幼稚園へは兄弟で能勢電・阪急を乗り継いで通っていた

当時能勢電鉄「鼓滝駅(つづみがたきえき)」の裏手の山のてっぺんあたりに住んでいた私たち兄弟。あまり書くと怒られそうだけど簡単に私たち兄弟のことを。兄は年子で幼稚園から大学まで同じ学校、大学は共に東京芸大声楽科。兄は中学頃から作曲家を志しており、大学の頃も、歌<<<<<<作曲の感じであった…そして作曲家になった。いまでも仲が良い。

その兄と山を下り、近所の子数人と、能勢電鼓滝駅から今の高架になるずっと前の川西能勢口へ出て、川西能勢口でさらに阪急に乗り換え、隣の池田駅まで。そして池田の室町幼稚園というところへ子どもたちだけで通っていたのだ。

当時の能勢電は当時320形や500形あたりがメインで600形がその後入ってきた時代。小型車が2両や4両で走っていたように思う。

隣のクラスのカワイイコ

一緒に通っていた女の子に、なぜか僕の世話をよく焼いてくれた可愛い子がいた。 (でも名前も思い出せない…この頃から酷い男だ)

彼女は隣のクラスだったが、お遊戯の時間など、教室の間にあるの可動式の仕切り壁を取っ払っていたので、一緒によく遊んだ。ある日のお遊戯の時間、僕がお腹が痛いというと、彼女はずっと付き添ってくれて、仕切り壁を元に戻しても僕のクラスの方に残り、先生に「あなたはお隣のクラスでしょ?」と言われても「だって、ひろちゃんがひろちゃんが…」と僕から離れようとしなかった。(僕は幼い頃「ひろちゃん」と呼ばれていた)

そんなある日、事件はトンネルの中で起きた。

暗いトンネルの中でのファーストキス

すでに気持ち悪くなっている方もいるだろうがお許し願いたい。そんな彼女と能勢電に乗って通っていたわけだが、彼女が「ひろちゃん」なる私を好きなことは、一緒に通う仲間はもうみんな知っていた。

そんなある日、誰かが「そんなに好きならひろちゃんにチューしろや〜!」などと言い出し、まわりも「そうやそうや〜」というふうに囃し立てた。まあ、いかにも昭和の子供である。詳しい経緯は覚えていないが、電車は鼓滝駅と鶯の森駅の間にあるトンネルに入った。当時はトンネルに入ると車内は暗くなり、裸電球の薄暗い明かりだけが灯った。その暗がりの中で、彼女は僕の頬にキス…じゃないな、チューしてくれたのだ。

どよめく周りのこどもたち。通勤・通学客でごった返していた電車の中で何をやっているのか。しかし、僕にとっては美しい思い出として残っている。

そんな淡い物語にもお決まりの終焉が訪れる。僕もだんだんと彼女に気持ちを寄せていったある日、彼女は引っ越していった。程なく僕も引っ越した。これが初恋と言えるレベルかどうかはともかく、私にとってはこれが初恋だと強く思っている。彼女は今どうしているだろう。会いたいような、そうでないような。

おぼろげな思い出なので、もしかしたら知らず知らずに、かなり脚色が入っているかもしれない。

当時の能勢電

当時の能勢電は、田舎の超ローカル線から、ベッドタウンの通勤路線へ大変貌を遂げつつある時期。駅の売店ではラムネ(ビー玉入りの瓶の飲料水)が売られ、平野駅近くには菊水という温泉旅館があった。菊水は平野温泉最後の温泉旅館だったと思う。平野は塩川から湧出する炭酸水を利用した平野水(のちの三ツ矢サイダー)が有名。三ツ矢サイダー発祥の地(平野鉱泉工場跡)として知られ、三ツ矢記念館がある。記念館は昔はいつでも入れたが、今は入れなくなっているようだ。そういえば結婚前、いや付き合う前の嫁さんを連れていったような…

川西能勢口の急曲線では車両同士の通路の連結幌が激しく捩れ「連結器の上に立っていると挟まれて●ぬ」と言われた話、1970年代から能勢口には自動改札があったこと、沿線の駅では売店(今はない)のおばちゃんが改札をやっていたことなど書いてみたい。

ちなみに鼓滝〜鶯の森間の猪名川橋梁はすでに新しいものとなって7年ほどが経過していた。

 

タイトルとURLをコピーしました