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結果を求めると表現の本質を見失う【音程・音色・音域・舌根・腹式・表情などは結果に過ぎない!?】

上達のアドバイス

表情が硬い、唇が動かない、舌根や口蓋垂の位置が悪い、音程がシャープする(うわずる)、フラットする(ぶら下がる)、高い声が出ない、音色が悪い、気持ちを出せない…これらはすべて「結果」です。結果がある以上原因もあります。結果だけを求めた練習は嘘をつきます。

つまり良い結果をいきなり求める練習をしたり、それで結果が出ないのは当たり前なのです。それを嘆くのではなく、その原因を突き止め、またその原因が起こった原因を…遠因を遡っていき、全体の流れを掴むことが大切です。

原因を突き止めずに舌根(ぜっこん)を下ろす努力をしたり、口蓋垂(こうがいすい)をあげる努力をしたり、一生懸命腹式呼吸やミックスボイスや鼻腔共鳴(びこうきょうめい)の練習正しい発音・滑舌の練習や、良い表情をしようと努めても、多くの場合その効果は期待できません。練習が練習にならないわけです。

もし豊かな表情で歌い、演じたければ…

たとえば唇や顎を柔らかく、自由に動かして豊かな表情で歌ったり話したりできる人になりたければ、唇や顎を柔らかく自由に動かす練習をするのではなく、余計な力を入れる必要のない柔らかく軽いしなやかで弾力のある呼吸を作ること。表情の細かな動きや、物語との関係性などの研究はそのあとです。この研究はとても楽しいものですが、しなやかな呼吸を持っていないのに表情のことを考えることは苦痛でしかありません。苦行であって修行ではないのです。

もちろんこういう練習は嘘をつきます。「笑う角には福きたる」と言いますが、呼吸が硬いまま無理やりニタニタ笑うと、ますます気持ちも萎えてしまうし、演出家やレッスンの先生も起こり出しかねません(それで怒るのもどうかと思いますが…)。

では柔らかい呼吸を作る練習をすれば…?それもまた違うのです。柔らかく弾力のある呼吸は何をした結果生まれるのかを考え実践するのです。そうして自然な音色と音程が生まれるのです。

さて、このあともう一度「腹式呼吸の嘘」の項で自由な表情で歌えるようになる理由が出てきます。

舌根を下げる、口蓋垂をあげるの嘘

さて、しなやかで弾力のある息を吐くには、まず体を楽器化する呼吸を吸わなければなりません。簡単に言えば、人は感動した時にどんな呼吸をするかを研究すれば良いのです。

まず人間は、感動した時やなにかに驚いたりした時に、単なる腹式呼吸も、単なる胸式呼吸もしません。特に腹式呼吸のことを考えながら感動的な呼吸をするのはまず不可能でしょう。

感動した時、体はどう動くか【体の楽器化呼吸】

扇型に開く胸

人は自然に感動した時、胸を脇腹・胸・背中をを左右に開いて、全体には上方に上がる息を吸います。この時、胸は突き出ませんし、お腹はむしろ凹みます。

え?それは何式呼吸ですって??もちろん体の楽器化呼吸です。

胸もお腹も脇腹も背中も全て使い、上方にあがって喉と接続されるような形になります。この体の楽器状態をキープするのに必要な力が体幹です。

この息を吸う時、その呼吸を通すために舌根や口蓋垂も自然に広がるのです。しかし、体幹が足りなかったり(引力に負けた状態)、体が固まっていたりすると、そもそも感動を再現する体の楽器化呼吸ができなかったり、感動の息は吸えてもそれがキープできません。

すると、肺に圧力をかけることも、息を吐かずに溜めることもできません。すると本来は声は出せないはずです。そんな楽器が壊れた状態でも出す方法があるんです。

舌根や口蓋垂は意識するな?

体という楽器が崩壊しても声を出す方法があるんです。それが、舌根と口蓋垂を硬くして息を無理やり溜めたりそれを一気に解放して吐いたりして声を出す方法です。そのメリットとデメリットを書きますと…

●メリット「とりあえず簡単に声が出ること」のみです。

●デメリットは、声が硬くなり、喉が痛くなる、枯れる、高い声が出ない、出ても苦しい、大きな声なのに通らない、もう数え切れないほどあります。壊れた楽器で弱くて量だけ出る息を、さらに一生懸命、出口でふさぎながら歌うのですからこれはもう当たり前です。

では体の楽器化とその使い方を知らずに舌根を無理やり下げたり、口蓋垂を無理やりあげると…声だけでなく、精神まで病んでしまいかねません。

決して舌根を下げようとしないこと。
決して口蓋垂を上げようとしないこと。

しなやかな呼吸が生まれれば、余計な力を入れる必要は無くなります。そうすれば一律に上げるとか下げるではなく、あなただけの「適切な位置」が見つかるのです。

では腹式呼吸は必要ないのでしょうか?いえ、必要です。体が楽器化した後使うのが腹式です。

「腹式呼吸をすれば上手くなる」の嘘、でも腹式は必要!

体の楽器化呼吸をして、体幹でその状態をキープすると、お腹はむしろ凹み、胸も突き出ないと先述しましたが、では腹式呼吸はいつするのか?この後です。

体の楽器化状態をキープすると、腹式呼吸をせざるを得なくなります。つまり腹式呼吸をする必要が生まれるのです。

多くの生徒さんも「気づいたらお腹を使っていた」「知らない間に腹式になっていた」と言われます。

こうなれば喉に余計な力を入れる必要がなくなり、舌根や口蓋垂は気にする必要もなくなります。これでやっと自由な表情の研究ができるようになるのです。

この状態ができればしめたもの。きっともう汗をかいて歌ったり話したりできていますよ。なぜなら、この状態をキープすると、常に息は止まらず、肺に圧力はかかり続けるという、有酸素運動にぴったりな状態が生まれるからです。

胸を開く力VS腹式呼吸

曲の一番最初は腹式で吸ってはいけない!?

ほとんどの曲で第一声は体の楽器化呼吸=お腹は凹んだ状態から、さらに凹ませながら歌います。これは朗読やセリフの最初もそうです。

凹ませながらと言っていますが、実際は勝手に凹みます。便宜上凹ませると書いています。

吸う時に凹んでさらに継ぎ目なく凹ませながら息を吐き声を出すことで、スムーズさとリアリティが生まれます。

なぜかと言いますと、最初の凹ませて吸う息で胸に圧力がかかり、凹ませて吐くことで、圧力が抜けないようにしたり、さらに圧力をかけたりできるので、緊張感と本気が再現できるのです。

腹式呼吸命!のひとは、1回目からお腹を無理に膨らませがちです。

そうすると大抵表情が表現者のそれではな「腹式呼吸を一生懸命やってます!」という不自然な顔になるんです。

お腹を膨らませるのは2回目の呼吸から

ではずっと凹ませ続けるのか?と言いますと、そんなことは不可能ですよね。

楽器化呼吸で凹む→第一声は(自動的に)凹みながら歌う→次のブレスで最初の楽器化の位置に(自動的に)戻る(のでお腹が最初の凹んだ位置に向かって膨らむ)

という流れになります。ちょっとややこしくてごめんなさい。
凹む→もっと凹む→膨らんで元の位置へ※以下繰り返しということですね。
なぜ楽器化の位置に、しかも自動的に戻るかと言いますと、楽器化した体を保ったまま、腹圧を抜くと、自動的に最初の楽器化した位置に戻ろうとします。
つまり、お腹が膨らんだように見えるのは2回目の呼吸からということになりますね。

音程が悪い人は音程を直すな!?

音程がフラット(ぶら下がる)、シャープ(うわずる)する人は、その音程を直そうとしても直りません。いえ、治らないことはありませんが失うものが多すぎるのです。

そもそも音程がおかしいことに、歌っている時には気づかないわけです。しかし録音したものを聴くと、音程がおかしいことがわかるわけですよね。これはどういうことでしょうか。それはこういうことです。

自分の声をリアルタイムで客観的に聞けていない=自然な呼吸を声帯や喉が通せんぼしているか、そもそも自然な呼吸を生み出せていないかのどちらか。

声は息に乗ってこの世に出て行きます。しかしその息が通せんぼされると、自分の体の中ではうまくできているつもりでも、外に出ないため、自分の声を外から聞けない。お客さんと同じように聞けない=客観的に自分の声を聞けないわけです。

自分の声を聞けていないのに無理やり音程を言われるがままに治そうとすると、もちろん喉はもっとカチカチに、舌根や口蓋垂は硬くなり、気持ちなど込めようがなくなるのです。

ですから、音程が悪いのを対処療法的に修正すると、例え直っても、その表現や音色は絶望的です。ですから教える方も「音程が悪い!」などと安直に言ってはいけないのです。

これがレガート(滑らかに)に歌っているつもり、気持ちを込めているつもり、正しく発音しているつもりなどにつながっていくわけです。こうなると上達しようがないのです。

ではどうすれば良いのでしょうか?

上手くなる練習とは何か

自分の声を客観的に聞けると修正・改善がリアルタイムでできる=上手くなるの一番の道です。

息が自然に溢れ、そこに声が乗ると自分の声がお客さんが聞くように客観的に外から聞こえるようになります。すると歌いながら、セリフを言いながら、常に音色と音程を修正できるようになるのです。

つまり、感動した時の呼吸や思わずでる自然な声のシステムを構築し、その声や呼吸を客観的に聞くことで、話すような自然さなのに、楽譜上の音程もきちんと通過しているし、自由に歌うような声なのに美しい発音をしている状態が生まれます。

そういう状態の中でもっとこんな声なら、もっとこうすれば良くなる…と研究することが本当の練習です。

そうなるともう、習う必要もなくなりますよ♪自分で自分の声を客観的に聞ける=自分が自分の先生になれるわけです。こうなればもう本物です。

本質を追うレッスンは時にウケない?

表面のうまさや良い声や高い声、正しい音程など、点数を追ってしまうと、発声マニア、呼吸マニア、発音マニアになりかねません。(声楽界には多いですよ…)

またうまく歌おうとすればするほど、わざとらしく不自然になっていくでしょう(カラオケの点数や学校の音楽テストは騙せる場合もありますが)。

こう言うことを書くのは本当はウケがよくありません。しかし、誰かが言わねばなりません。絶対に舌根を下げれば歌は上手くなる!とか、音程が悪い人は響きをよくしよう!とか書いた方がウケは良いのです。しかし私はそんな耳触りの良い出来もしないことは書きたくないのです。

本当の練習とは、そんなふうに原因を求め、遠因を求め遡り続け、表現の根本を追い求めることにあるはずです。ここに「表現の本質=人間とは何か」があるのだと思います。

「そんなの私には無理」「それは才能があるひとがやること」というのは絶対に違います。本質を追う練習はみんなにとって難しく、でもみんなができることのなのです。

ただ繰り返し練習しても、論理だけを追っても、気持ちをどんなに込めているつもりでも上手くならない理由もこんなところにあります。

今まで上手くいかなかった人を指導させていただくとき、まずこの価値観を変えなければいけません。ですからどうしても最初は原因・遠因を探る作業が増えてしまいますが、そこをクリアできれば、誰でもうまくなるんです。

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