2023年もいよいよ残すところ今日1日です。
ボイストレーナーという不安定な道を生業としてここまでやってこれたのも、ひとえに、私の独特のレッスンスタイルを支持してくださった皆様のおかげです。幾重にも感謝申し上げます。
確かに私のレッスンを受けた方は「これまでにどこにもなかった」とおっしゃいますが、もちろん私は、私スタイルこそがあるべきレッスンの姿だと思って取り組んでいる訳です。
多くの方は、呼吸法や発声法ができるようになるから歌が上手くなると信じています。そして呼吸法や発声法なんか考えなくてもできる人のことを「天才だ」と突き放して考えてしまいます。
私もそう思って、かつては練習し、どうすれば高い声が出るか、ミックスボイスができるか、などと真剣に考え、研究したものです。
そして高い声や巷でミックスと言われているもの、カラオケの点数も上がりました。腹式も鼻腔共鳴もできるようになった…つもりではおりました。
しかし、それと引き換えに大切なものを失っていったように思うのです。
そもそもなぜ高い声が出したかったのかというと、プロの方の高音がカッコよいとあこがれたからなのと、かつて1オクターブしかなかった、狭すぎる音域の私が持つ周りへの嫉妬・コンプレックスでしかなかった訳です。
そうして呼吸法・発声法を研究して出るようになった。
しかし何かが違う・・・それは人は、いや動物は本来なぜ高い声を出すのか、どういうときに、なんのために高い声を出すのか?という本質が抜け落ちていたからです。それがない歌唱は、ただの雑音・騒音に過ぎなかったのです。目的が歌えるようになること自体の歌が面白いはずもない、伝わるはずもない。それを、しゃくりやビブラート、泣くような変なシャウトで誤魔化そうものならもう目も当てられない。
私の本当の研究は始まりました。人はなぜ歌うのか…歌う前に話すのであり、話す前に息をする。息をするということは生きている。その息の強さや圧や動きにその人の感情やバランス感覚が表れる・・・というふうに遡っていったのです。
そして、長く一線で活躍するプロは、歌のジャンル関係なく、声のジャンル関係なく、上手く歌うのではなく、人間という楽器としてバランスが取れている=体自体に感動が宿り、それをキープするために自動的に腹式呼吸が始まり、そんな感動の呼吸を維持した結果、声が自由に自然になっていく、結果としてうまい。そしてそのための努力を怠らない・・・というところに行きつきました。
つまり、うまい人はうまく歌っているのではなく、自分の体の感動状態を維持した結果、その内部にある横隔膜や声帯や背筋という残ったメンバーを動かさざるを得なくなる…ことに気づくこともなくそれを実践しているのです。ところが周りの私たちは、その感動のシステムではなく、最後に結果として出た声の出し方やしゃくり方みたいな表面の部分だけに憧れ、それができないのは発声法・呼吸法が悪いからという安直な道に向かってしまうのです。
それに気づいたのは16年ほど前でしょうか?その時にレッスンをしてしまった、なんちゃっての高音・ミックス・うまいんじゃなくて上手く歌う方法を教えてしまった生徒さんには申し訳なく思っています。そして今、周りのボイトレを見渡すと、かつて私がやっていたものを、さらに付け焼き刃でやっているスクールが多くあるのです。
ではうわべの呼吸法や発声法による「うまいふり」「なんちゃっての高音」をなぜ教えてしまうのか。それは表現の本質を探そうとしていない、目的が表現であることを忘れ、いい声、カラオケの点数が高い声で歌うこととする変わってしまっているというところです。
そもそも横隔膜や背筋は、笑ったら使っていた、重いものを持とうとしたら使っていた、という気づいたら使っていたものです。声もそうです。動物は思わず、必要から声を出すのです。だからそこに意味があり、それをカッコ良いと思うのです。その声に必要性があるからです。
ということはボイストレーナーや演出家は、気づいた時には腹式が始まっている、気づいた時には声が自由になっていた、気づいた時にはうまくなっていたという方法を、つまり体が表現者として成立し、そんな自分自身に感動できる状態の作り方を教えるのが本筋なのです。
なぜならそれができれば、もう自由自在ですから。
しかしそれを自分ができても、人に指導できるボイストレーナーや声楽家がどれだけいるでしょうか?
それができないから「こう歌え、ああ歌え」「感情を込めろ」「発音が悪い」などと揚げ足を取るようなレッスンになってしまうのです。
いや、実はできる人も多くいるのです。しかしそういう人はほとんど表に出てきません。
なぜなら本質を教えることは至難の技であり、生徒募集の広告を打つ文言すら考えるのが至難の技だからです。
多くの人は「腹式発声とミックスボイスでキミもうたがうまくなる!」という風なニセモノに飛びつく訳ですから。
そういうレッスンを私は批判してきました。
世の中心地よい言葉と誹謗中傷に溢れていますが、切なのは健全な批判は嫌われています。
でも私は諦めません。
なんちゃってではない伝わる歌。上手く歌うのではなく、自然にうまい人を増やしたいから。
それは人間として豊かで面白い人だから。
そんな人がこの国には足りないと感じるから。
そんな人が増えれば、きっとこの国は豊かに、世の中は面白くなると信じ、未だに諦められないから。
最後に・・・一番歌が上手くなる方法は、体を、人や動物が感動した状態に作り変えることです。
つまり体の楽器化です。体が楽器になることで初めてその演奏法である呼吸法や発声法は意味をもち、身につくのですから。
楽器がない、またはできていないのに、うまく歌う方法や発声法を考えるのは、中身の偽物をかっこいい服やメッキで誤魔化すようなもの。
本物になるには才能は関係ありません。
方法を知り、実践すること。それだけです。それを教えるのは至難の業。でも教えます。
得られるものは?最上の喜びと、自分自身へのリスペクトができる表現と上達です♪
しかも客観的な。だから勘違い野郎にはなりませんからご安心を!