声を出していない時もずっと表現を共有し続けること
ボイストレーナーの浜渦です。この記事でお伝えしたいことは、上手くなるため、人と感動を共有するための、表現に対する考え方です。
- 「表現しているついで」に歌う
- 「表現とは表現者の身体と心全部」である。
- 声は「表現を証明するもの」
- 声は「表現の演出」
歌うこと自体が表現じゃないの?
表現の証明って何?演出って言い方はちょっと…
「歌うことが表現」ではないの?もちろん、それも表現と言えますが、長く第一線で活躍されている方は、声を出している時も出していない時も、息を吸っている時も吐いている時も、ずっと表現をしています。最低でもイントロからエンディングまではずっと。
では表現とはいったいなんのことでしょう。
声を出している時も出していない時も、息を吸っている時も吐いている時も、ずっと表現をすること。この意味を理解するかしないかで、これからの上達速度が全く変わってきますよ♪
玉置浩二さんや井上陽水さん他、第一線で、本当に人を楽しませることができる人は、単にうまいというのではなく、どの一瞬も表現で満ちています。それはコンサートを見てもわかりますよね。
表現とはなにを指すのか
表現とは「体とこころの全て」です。抽象的ですから、ここでは体に限定しましょう。
表現とは、体が最高の楽器であり続けること
表現とは体が、声を出す出さない、息を吐く吐かない、動きをつけるつけないにかかわらず、あらゆる瞬間瞬間で(最低でもイントロから曲が終わって1秒くらい)最高の楽器であり続けることだと思ってください。もしそれができた時、張り詰めた心地よい共有の空気を作ることができるはずです。
しかし、本当にできたかどうかは息を吐いた時、声を出した時に証明されます。(チェック方法は後述)
敢えていえば声は「表現の演出」に過ぎない。声を出していなくても、表現していることが大切。表現とは何かといえばあなた自身という楽器が最高の状態であること。それを息を吐き、声を出すことで証明するのだ。うまくいけば、最高の演出になり、失敗すれば、声や息は表現の邪魔者にさえなる。
— ボイストレーナー浜渦弘志 (@h_hamauzu) June 30, 2019
うまいかどうかだけでなく、その呼吸の質でその体が表現者としてのものか、ただのため息かは丸わかりです。さらにその呼吸に声を乗せることで完全に多くのひとと共有できるものかバレてしまいます。
上手くてもなんか感動できない人っているよね…
でも、あんまり上手いとか思わないけど、引き込まれる歌を歌う人もいるよね。それってこの「共有」ができているってこと?
まさにその通りです!出した声が共有できるものなら好きではない歌手でもなんとなく認めざるを得ない…そんな経験もあると思います。♪さらに、出した声が共有できるものということは次のようなことが言えます。
呼吸音と「目」でチェック
これは動画でも文章でも表せない呼吸音なのですが、吐いた息である程度チェックできます。
喉に絡んだような呼吸音なら
呼吸音が、ちょっと喉に絡んだような音がすると「どんなに本人は感動を伝えようとしても自分がそう思っているだけ」となりがち。つまり、自分の中にはしっかり気持ちはあっても、前には出てきていない状態です。この時、目はやたら瞬きをしたり、高い声になると白目を剥いたり…^^;
ため息のような呼吸音は「感動の押し売り!?」
しっかり出ているけれど、自分が空っぽになるような、楽器が崩れるような呼吸音なら「感動の押し売り」のパターンが多いです。もしくはだるそうな、眠そうな。自分が空っぽなわけですから、共有できていませんよね。
共有できる呼吸は「目力」が違う!?
共有できている呼吸音は、レッスンではしっかり実践していただきますが、文章や実は動画でもなかなか表現できません。私が現場のレッスンにこだわる所以でもあります。
しかし、目は大抵とても目力ができます。多くはしっかりと見開きます。実は、目の開け方と気道の開き方には密接な関係があります。喉を閉められると白目を剥いてしまうように、高い声で同じことしてしまう人がいます。
結論。楽器を保ちつつ、呼吸をしっかり吐く。たったこれだけ!
共有できる呼吸は、自分という楽器をしっかり保ちつつ、相手にしっかり呼吸を届ける。たったこれだけです。本当にこれだけです。
ただし、これを何も知らずに始めると、特に個人表現が苦手な日本人にはとても難しく、それを腹式呼吸がどうの、発声法がどうのと難しく考えてしまうのです。
実は、楽器を保ちながら共有できる呼吸を相手に届ける、その上に声を載せる。これができた時、呼吸法と発声法は自動的にもうほとんど身についているのです。
ただ、この説明が大変難しいために、根性論のレッスンが跋扈していた時代がありました。また辛辣な言い方ですが、最近では、教える方にこの能力が備わっていないために、逆に論理だけに偏って、理論は理解できても実践できず、高い声は出ても感動はない。などということがおこってしまっているのです。
批判的なことは書かない方がよい。それはわかるのですが、やはりこの業界に携わるものとして、誹謗中傷はNGですが、健全な批判は行なっていきたいと思います。どうかご容赦ください。
コメント