ボイストレーナーの浜渦です。
我が娘「fu」と散歩中に彼岸花(ヒガンバナ※別名曼珠沙華)を見つけました。夕闇迫る街中にあって、ひときわ鮮烈な紅い輝きを放っていました。
彼岸花について少しだけ
道の辺の 壱師の花の いちしろく
人皆知りぬ 我が恋妻は
柿本人麻呂の一首で、万葉集に収められています。「壱師の花=彼岸花(という説)」
壱師の花の いちしろく…つまり、彼岸花が著しくはっきりと目に付く。「道端にある、誰の目にも目立つ彼岸花のように、人皆に知られてしまった、私の恋妻の存在を」
という訳のイメージになるでしょうか。
花言葉は「情熱」「再会」「あきらめ」「悲しい思い出」「あなた一人を想う」等々、様々なものがありますが、秋のお彼岸の時期にだけ咲く花と言われるそのイメージや、赤い花の鮮烈さを思わせるものばかりですね。
…この周りの紫の葉はなんでしょう。よく見かけますが、名前を知ろうとしなかったな…
不吉な花とも言われることもありますが、私はその情熱的なくれない色に惹かれてしまいます。
今日のレッスンより
さて、今日はいろんな生徒さんからたくさんの嬉しいお言葉をいただきました。
ボイトレの生徒さんからいただいたお言葉
今日は、午前から、一般社会人の方のレッスンが続きました。
- 「こんなに気持ちよくノッて歌えたのは初めて」
- 「自分の中に冷静な部分と躍動する部分を作る楽しさがわかってきた」
- 「気持ちを込めるという意味を初めて知った。これまでのは無理やり自分を騙していただけ」
…等々。感謝…!これだけ嬉しいお言葉を頂けるとは、ボイストレーナー冥利につきます。
歌は人生の感動を表す
人生の感動を表すのが歌であって欲しい…感動がないのを「自己顕示欲の発散で誤魔化す為に歌う」のは不遜だと思うのです。
歌で見栄を張ってしまってはお仕舞いだと思うのです。
歌は人生、そして生きることそのものを、誇るものであり(嬉しくも悲しくも)、見栄を張るためのものではないと…— ボイストレーナー浜渦弘志 (@h_hamauzu) September 25, 2019
いや、そういう歌を私も歌っていたんだと思います。そうして苦しみました。
感動とは、もちろん喜びだけでなく、悲しみ絶望も怒りも喪失感もあります。むしろ、ネガティヴなことの方が、身体の中には鮮明に残っているかもしれません。(だからこそ、歌に活かしやすく、むしろプラス要素なのです)
それを、見栄を張らずに、包み隠さず、ありのままに、呼吸に、声に描き出すのです。
ありのままとは、見栄も張らなければ、自分を下げたりもせず、今できる自然を前提とした全力…とでも言いましょうか。
それが、皆さんにお伝えしたい歌、なのかなと改めて思うのです。
さて、レッスンとお散歩の後は、ご飯を作り、洗濯物をたたみ終了!
…あ、アイロンがまだだった^^;
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