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父・浜渦章盛の命日の寄せて

父・浜渦章盛の若い頃と晩年 ダイアリー

昨日2022年8月14日は私の父浜渦章盛の命日でした。こういうことをこの場で書くのもなんですが、ちょっと思いついて久しぶりに親父に向かって思ったこと、親父に言いたいことなどをつらつらと書きましたので…載せてみたいと思います。

親父の命日が過ぎてゆく。
もう11年、もう書かなくても良いかとも思うけど、まあなんとなく。
武器を持たない戦いの連続の人だったね。

苦労を繰り返し、波乱万丈。
高校時代番長グループをコーラス部へ変え、ジャズピアノで食べる。主宰児童合唱団への地元番長グループの入団、朝●奈隆先生に盾突きつつとても可愛がられるなど(魔笛(パパゲーノ役)のリハで大先輩の先生に向かって「あんたの指揮はわからん」から喧嘩。でもそのあとは…♪)。

…伝説は数知れず。
(ご興味ある方は→ http://monomusik.com/diary.html 主催の合唱団に番長グループが揃って入団する話なども)

…と、実子が親を褒めてもシラケるだけだが、そもそもあんまり息子だったって感触もない。たしかに愛されていたと思うし、僕も親父を愛していたが、彼はなんというか…親父であって親父でなかった。

彼は何せ弱っている人、困ってる人のところに常に寄り添う人だったから。僕は困ってなかったしね。いや、僕は僕で色々悩んで、親父にも常に気に入られようとはしていたし、まあ親父とも色々あったけど、彼からみたら、僕は恵まれた人間だったと思う。

そんなこんなで、僕ら兄弟がローゼンビートを継がなかったのは正解だったとより強く思う。そんなこと彼も思ってなかったしね。そして見事に引き継いでくださっている現メンバーに本当に感謝している。
※ローゼンビート私の父母が約50年前に、創立した少年少女合唱団の名称で、その後音楽事務所の名前となりました。現在も尼崎に自前のミニホールを構え、様々なコンサートオペラの公演、音楽教室などいろんな活動を続けています。私も月に1度ほどレッスンに帰っています。

親褒めついでに…まあ若い時の演技と歌唱は、客観的に今みても聴いても、正直凄いと思う。こんな日本人がいたのか!?ってレベル。

私が全ジャンルの声を指導することに意義を感じているのは、シンガーソングライターでもあった彼がどのジャンルを歌ってもピカイチだったからだと今にして思う。

息子はまだまだです。俺も頑張るけど、まあ孫たちに期待してくれ。

ああ、でもなぜあなたがあんなに歌が上手くて、すごい演技だったのかはを、論理と実戦である程度生徒さんには伝えられるようになったようには思うよ!

俺はそれがわからなかったからえらい苦労したんだぜ。ボイストレーナーになって全部自分で研究してからだよ。そういう意味ではあんたは歌は何も教えてくれなかったけど良い教材だったね♪俺、初めて言うけど、30超えてからの伸び代ではあなたの知っている人の中でいちばん伸びたと思うよ(笑)あんなに下手やったからね。下手やのに舞台に立つのが苦痛で仕方なかったんよ。

いや、今でも下手よ!でもなんだろう下手が違うというか。自分の才能と実力をちゃんと出す方法を知ってその上で下手だったらなんの後悔もないじゃないの!

でもそれは、あなたが何をどう感じ、どう動いて、どう表現していたかを解析したからだよ。っていうか、アンタがそれを教えんからわしゃ苦労したんやで

でなあ、あのままオペラとテレビ・ラジオで芸能人やってくれてれば、おれは今頃フェラーリ乗り回せていたかもね(笑)

でも権力と組織に媚びずに一匹オオカミというよりなんだネズミレベルだけど、この時代生き抜いてきたよ。来年も覚えてたら書くかもね…。


 

…随分好きなことを書かせていただきました。彼は自分のことには無頓着。時計も財布も持ってなかった。でもカッコ良い親父でした。言いたいことは色々あるけれど(笑)

彼は2011年8月14日に旅立ち、8月15日に荼毘に付されました。平和を愛し、それを音楽のみならず、詩や絵や舞台、そして人生という場で訴え続けてきた彼にはふさわしい日だったと思います。

火葬場に付き添ったのは、私とわたしの同じローゼンビートの同僚のたった二人。しかも普段着。それが彼が望んだことだったから。

「葬式とかせんでくれよ。…いろんな人が押しかけてきたらお母さんが困るからな。」

 

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