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鼻腔共鳴禁止!?良い声は我慢?本当の基礎は自然な「普通の声」にあり

上達のアドバイス

鼻腔共鳴…ボイトレに通った人、また色々調べた人、声楽を習った人なら一度は聞いたことがある言葉でしょう。またみなさん発声法・呼吸法を覚えて良い声・高い声を出したいでしょう。私もそうです。しかしちょっとお待ちください。普通の声という基礎ができれば勝手に手に入ります。それまで待って欲しいのです。普段(ふだん)の声ではありませんよ。普通(ふつう)の声です。大したことのない、大きくもない、ただの普通の声。ただし最高に自然で伝わる普通の声。これができればもう…ボイトレって9割成功してます!そうなるとあとはやればやるだけ自然に個性が引き出されつつ上手くなるんですよ。もちろん共鳴も呼吸法も身につくんです。

それはなぜなのか?みなさんが最初に手に入れるべき普通の声の正体とは?それでははじまりはじまり!

自然で伝わる大きなスケールを感じさせる普通の声の正体とは

最初にみなさんが目指すべき「自然な普通の声」とは

自然な普通の声とはなんでしょう。それは立派でもない、大きくもない、一生懸命響かすこともない、ふわっと話すような伝わる声。感動した時に思わず漏れるような話すような、何の変哲もない、でも自然な意味のある声のことです。(動画参照)

これは大きなキャンバスのようなスケール感があるなかで、そのキャンバスの真ん中にそっと点を打つような声とでも言えばいいでしょうか。

自然な普通の声は体を豊かなキャンバスにすることから(体の楽器化)

大きなキャンバスにそっと点を打つ…すると大きな大きな余白ができます。大きなキャンバスとは体の中に作る空間、つまり声を使う私たちにとってはこの空間とその空間を支える体こそが楽器となります。これが体の楽器化です

体の楽器化が腹式呼吸を呼ぶ!?

その楽器となった体というキャンバスをくずすことなく呼吸をすれば、腹式呼吸をせざるを得なくなります。簡単に言えばこれが腹式呼吸の正体です。キャンバス=楽器とするならば、呼吸は絵筆と言えるでしょう。楽器を崩さず、その中を自由に動く呼吸という絵筆。

楽器と呼吸を邪魔しない最初の声=自然な普通の声

体を大きなキャンバスのように作り替える=体の楽器化、それを動かしたり邪魔しないように自由に絵筆を走らせる方法=腹式呼吸。つまり楽器化した体を奏でようと動き出すのが横隔膜を始めとした筋肉や筋膜(楽器と演奏者の関係)

つまり楽器が決まれば演奏法もおのずと決まる。その演奏法にあたるのが本当の腹式呼吸なんですね。おそらく多くの方が思っている腹式呼吸と、表現のための腹式呼吸が目的も動き出すきっかけもまるで違うかと思います。

楽器と演奏法…この二つを邪魔せず、守りながら生まれる最初の声こそ、思わず出る自然な普通の声にして基礎なのです。

まだ鼻腔共鳴(びこうきょうめい・びくうきょうめい)もそこには無く、高くも低くもない、立派でもない、しかしなぜか自然に響く、マイクにも入る、小さくてもよく聞こえるそんな声。

それは大きな体というホールで自然に流れる呼吸に乗った声だからです。狭いホールで詰まった息でどれだけ大きな声を出そうと、鼻を響かせようと、そこで腹式呼吸を頑張ろうと、それは無駄だらけの努力です。目的と手段を見誤ると、普通の囁くような声に負けるのです。

参考動画:体の楽器化と自動的に始まる腹式呼吸について

 

自然な普通の声から各ジャンルへ「真の練習のはじまり」

世の中で第一線で活躍する人は、歌でもポップス・ロック・演歌・声楽等、ジャンルを問わずこの普通の声を当たり前のように使います。大したことのない普通の声だけで伝わる歌という表現を成立させてこそ本物。それができない人ほど、変な泣いたようなシャウトっぽい声や、しゃくったような声などで誤魔化しがちです。普通かつ自然な声ができているかどうかは童謡や唱歌を普通に歌ってもらえばすぐバレてしまいます。

「え?でも演歌に演歌の特徴のある声、声楽ならマイクを使わない声楽の声があるじゃないか?

その通りです。ただし、それは大きなキャンバスの中に描いた普通の声をそのキャンバスの中でいろんな方向へ育てていった結果です。ヘヴィメタルやハードロックの歌手でも、すごい人はやはり普通のさらっとした声で美しく童謡を歌えます。たとえハスキーでも調子が悪くてもです。我々はその人たちの基礎を見ずに、育てた結果の声に憧れてしまいますが、それが大きなキャンバスの点から生まれ育ったことこそ感じ取れるようになりましょう。

もとは全て自然な普通の声なのです。その自然な声から各ジャンルへ、自分らしい声へ向かう練習。ここからが本当の練習です!

世の中のボイトレ法・発声法は自然な普通の声ができる人前提に作られている

しかしこの自然な大きなキャンバスの普通の声を作ることこそ表現の基礎にして、最も難しいものの一つです。手に入れるはもちろん、教えるのはもっともっと難しい。真の普通の声を教え伝えられる人はなかなかお目にかかれません。本人ができても伝えられなかったり、本人がその基礎を知らなかったり…。

ボイトレでよく言われる「背筋を使え」とか「腹筋を使え」というのも間違いではないのですが、これらは意識して使った時点で不自然です。

本当は楽器化した体の中で息を流し、それを邪魔しない普通の声が出た時、背筋や腹筋が知らず知らずのうちに動いていた、これが正解です。

だから「この筋肉を使え」と言うのは、意識せずとも思わずその筋肉を使ってしまうような基礎をつくりあげろよということなのです。でも筋肉を使えと言われると、普通の人は訳がわからなくなるはずです。仮に無理に意識して使っても、体という楽器を無視したものですから。

不自然な普通の声、不自然で立派な声は出すな(声楽注意!!)

不自然な普通の声は簡単ですが、もちろん使いようがありません。本人は普通のつもりでも、体が動物として楽器としてキャンバスとして不自然(縮んでいる、固まっている、壊れている状態)なのですから。

そこで勘違いしてしまうのが(特に声楽家…私も陥ってました)不自然で立派な声です。自然で普通の声の対極にある、一番聞いてられないものに向かっている危険性大です。

いつまでも上達しない人

実際声楽や、ある決まったジャンルの声をやろうとすると、基礎を無視してそのジャンルっぽい声を作るというルール違反に陥ってしまいがちです。それは壊れた小さなキャンバスに大きな点を乱暴に出すような行為。

いやもうケチョンケチョンに書いて申し訳ありませんが、本人は必死なんですよね。それっぽくやらないといけないと思ってるんです。しかしこの間違いに気づかないと何十年やろうと、えらい先生に習おうと、正しい方法を頭で知っていようと、決して表現と呼べる歌にはならないでしょう。

思い切り自由にやれば上手い必要はない…そう思っている方も多いでしょうしその通りです。しかしそれは自分の体を楽器に育て、その中で自由に絵を描けるなら、その結果が下手と言われようが構わないということです。しかしそういう人はたとえ下手でも味があり、やがては上達していくのです。

自分がどのジャンルの歌い手であるかという前に、体と呼吸を扱う表現者であることを忘れてはならないのです。

だからまずはジャンルを外した、大したことのない、でも最高に自然な自分だけの普通の声…これが本当の基礎なんですね。

私が「鼻腔共鳴は大切だけど『あなたは禁止』」と言う理由

私は鼻腔共鳴を否定しません。それどころか使えるならじゃんじゃん使いましょう!と思っています。それでも「鼻腔共鳴を禁止ね」とよく言います。特に声楽の方には。

「鼻腔共鳴禁止♪普通の人が普通と思える声で表現として成立する歌をまず歌えるようにしましょう」

その後なら鼻腔共鳴だろうが、体腔共鳴でドスを聴かせようが自由です。というより、普通の声ができるようになると、共鳴なんてわりと簡単にできるんですよ。腹式呼吸が意識しなくても勝手にはじまるように

〇〇共鳴というのは、大きなキャンバスの中でどこをクローズアップするかということ。キャンバスの真ん中をそっと捕まえるのが普通の声

体というキャンバスができていればこれでも十分聞こえるし表現として成立するのは先ほど書きましたね。

その過程で勝手にあちこち響く。その一つが鼻腔共鳴です。
空間と中心を捉える前に鼻腔共鳴なんてやったらよくある「鼻腔だけ共鳴」になっちゃうんです。

共鳴を頑張りすぎた結果、ちっちゃなキャンバスの中で無理やり鼻を響かす…当然ただの詰まった鼻声になります。これが実に多い。だからまずは共鳴なんか考えるな、という訳です。

秩序とルールを無視した自由な表現はただの破綻

ここから焦点を自由な絵筆のように体というキャンバスの中で動かす…その後に残る軌跡が響きの方向性=感情の方向性となって描かれるのです。点を膨らませるとボリュームや圧のある音色になる。つまり自由に絵を描く=これが自由な表現の正体です。そこに個性が生まれるのはふしぎではありませんよね。

キャンバスもなく、筆もなければ、自由に描くもなにもありません。同じように体を楽器として扱わず、呼吸も流さず、自由に歌うというのは、ルールも秩序もない自由です。それは自由ではなく、ただの自分勝手…ただの破綻です。それを自由だと言い張るのが問題なのは、どの世界でも問題ですよね。

自然な普通の声(基礎)がわかると個性が引き出されどんどん上達する

キャンバスがあり、その中に点を打てる。これが本当の基礎です。

それができると、その点を膨らませたり、動かしたりすることはそんなに難しくありません。それどころか、普通がわかった人は、だけでは飽き足らなくなり、自分から動こうとします。それが自分らしく成長する練習であり、上手くなるということです

つまり個性の表出と上達はワンセットなのです。

だから本当の基礎を知っている人は、教えなくても勝手に上手くなるんです。こう歌えと言わなくても、自分の感性にしたがって、個性的に歌うようになるのです。

基礎を教える重要性と難しさと責任

つまり、自由な絵を描けるようになるのです。

我々講師は基礎さえ渡すことができれば「ああ歌えこう歌え」「ここは優しく歌え」なんて野暮な馬鹿馬鹿しいこと言う必要はないのです。しかし基礎を教えるほど難しいものはありません。

基礎を伝えるためには、講師や演出家、声楽の先生は、基礎とは何かを理解し、自分が実践でき、わかりやすく伝える力の3点がなければなりません。そのどれか一つでも欠けてしまうと、基礎の部分は生徒さんが最初から持っているか自分で見つけるかしかなくなります。見つければあとは勝手に上手くなることを考えると、基礎を教えられない先生の存在価値とは一体なんでしょうか。

昔は基礎は「見て盗め、聞いて盗め」でした。現在は逆に本当の基礎を教えず、断片的なテクニックや、基礎ができた後に自然に身につくはずの呼吸法やミックスボイスなどを基礎ができていないうちに教える傾向にあります…どちらも難ありです。

発音だって楽器と呼吸を守ること知れば勝手にどんどんよくなる。むしろ、基礎を無視して滑舌練習なんてすると目も当てられないことになる。これもまあ多いんですよ。楽器も息も無視して滑舌だけ良くなったら…それはもう雑音・騒音ですよね。

自然な普通の声という本当の基礎を知り、手に入れる前に、響きがどうの、こう歌え、腹から声を出せ、発音がどうの、なんて言われたら…歌が大嫌いに、自分の声が大嫌いに、人前で何かするのが大の苦手になるかもしれませんよ。

私たち教える立場の人間が一番やってはいけないことなんです。教えるということは、その人の生き方に影響を与えてしまいかねません。そのくらいの責任感を持たねばならないのです。

 

 

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