ボイストレーナーの浜渦です。
ボイトレのレッスンには、滑舌を良くしたいという理由で来られる方もいらっしゃいます。レッスンに来られる方にお話をお聞きすると「自分では気をつけているつもり」「滑舌矯正のスクールにも通っていたがあまり変わらず」という方も多いのです。ではなぜ滑舌が悪くなるのでしょうか?そしてなかなか治らないのでしょうか…。
多くの方は、舌や唇の使い方とか発音の仕方、口の開け方に原因があると思われるようです。実際、それらにも原因はありますし、確かに唇や舌の柔らかさや筋肉も必要です。しかし、ほとんどの場合、もっと大きな根本的な問題があります。(もちろん、骨格や顎関節症など、特殊な事情がある方もいらっしゃいます。)
滑舌や発音が曖昧でも、綺麗な言葉で意味が伝わる役者さんが大勢いらっしゃいます。名優と言われる方の中にも、滑舌が特徴的かつ曖昧、またはボソボソ話しているのに、声も豊かに、言葉もきっちり伝わる方は多いのです。その答えは、滑舌よりも、呼吸の流れや、呼吸を作る体にあるのです。
五体満足な政治家が滑舌が悪いと言うことはかなり問題ですよね。これも多くは呼吸と呼吸を作る体に問題があります。海外のTOPクラスの政治家は本当の呼吸が良い方が多いです。日本のTOPの政治家には滑舌が悪い方が多いように感じます。おそらくご本人は努力されているとは思うのですが、一体何が悪いのか、どこに原因があるのかを、私なりに解説させていただきますね。
おそらく多くのボイストレーナーとは違う視点になると思いますが、自信を持って書かせていただきます。
※この記事は特定の政党・政治家を応援したり、批判するための記事ではありません。ご承知おきくださいませ
息が止まる・滑る
個人名を書くのは憚られるのですが、わかりやすくいいますと、我が国の首相、安倍総理はよく、滑舌が悪いと言われていますよね(繰り返しますが、当方に政治的意図はありません)。
それはなぜでしょうか。前述の通り、単純な舌や唇の発音の問題なのでしょうか?
考えられる理由をあげてみます。
これは、体が停滞して、しなやかさが無いということです。「体を開く」とは、体を柔らかくしなやかにして、胸を中心とした胴体を前後左右に物理的に開くことです。胸を張るように開いても、背中が縮んではいけませんし、脇腹を開いても、胸が落ちてはいけません。
私たち人間は声帯の振動(音源)を骨格・体腔・鼻腔などに伝えて鳴らすわけですが、体が閉じているとこれが難しくなりますし、滑舌でもっとも大切な呼吸のしなやかさ(強さと柔らかさ)は望めません。呼吸は腹式呼吸だけでなく、胸や背中、脇腹全体をポンプのように使わねば、しなやかな呼吸は生まれないのです。
脱力を勘違いしても、よく体が閉じてしまいます。脱力とは、自分の体をしっかり支える体幹・筋肉があって、はじめて意味があります。ただ力を抜いただけでは、ただの腑抜けになってしまいかねません。
体幹が弱いと、あごが上がり、胸も落ちやすく、喉と胸が離れてしまいます。これでは腹式呼吸を意識しても、息が漏れたり詰まったりして、肝心の腹式呼吸も役に立たなくなってしまいます。
腹式呼吸は、体という楽器、具体的には、胸や喉周りといった「上体をキープしつつ息を吐くこと」に大きな意義がありますが、楽器の状態が悪ければ、たとえ呼吸法が正しくても、結果は悪いものになってしまいます。喉と胸が離れているということは、トランペットのマウスピースと本体が外れてしまっているような状態です。
他にもたくさんありますが、以上のような理由により、以下のようなことが起こってしまいます。
結果として、子音に呼吸が負け、つまずいたように止まったり、また子音から母音に移行する時に、ずっこけた様に息が出てしまうわけです。これが息が滑っている状態で、滑舌は非常に悪くなります。
子音は基本的に、呼吸を舌や唇で捕まえることで作りますが、本当に捕まってしまうと呼吸が止まってしまうので、その分呼吸の強さが必要となります。ところが、息が弱いと、一瞬、完全に止まってしまうわけです。ここでまず、呼吸がつまづきます。さらにそこから母音に移行する時、まるで一気にしぼむ風船のごとく、息が堰(せき)を切ったように出てしまうのです。
これでは良い呼吸が体に留まってくれませんので、息も続きませんし、声帯には良い振動が生まれません。さらに顔まわりの筋肉や体幹が弱いと、本来鳴り響いてくれるはずの骨格に「重しが乗っかったような状態」になり、豊かな響きのある声も期待できません。
その結果、余計な力が入り、滑舌もますます悪くなるという、負のスパイラルに陥ってしまいます。
滑舌や声は「今現在」の肉体と精神のバランスを表している
多くのひとの場合、声は今現在の呼吸のバランスを表していると言えるのではないでしょうか。
そして、呼吸のバランスは、肉体と精神のバランスを表しています。もちろん、緊張したり、リラックスすることによっても、大きく変わりますが、基本的には、普段の生活、それまでの人生の影響がが大いですから、一朝一夕で変わるものではありません。
※これは五体満足に生まれることのできた私が、そのことに感謝しつつ、申し上げていることも付け加えておきます(この言い方も良いのかわかりませんが)。
しかし、政治家たる者、このバランスが崩れていては…。プレッシャーのある仕事で毎日が大変だと思いますが、国民の一人としてここは期待したいところです。
いきなり滑らかにとは行かなくても、情熱が勝って、少し、吃ってしまうくらいでも良いと思う時はあります。
滑舌・発音が悪い人がいきなり矯正する危険性
大切なことなので、繰り返しますが、多くの人が勘違いしてしまいますが、滑舌の悪さは、口の開け方や舌やくちびるの使い方よりも、多くの場合、呼吸と、その呼吸を生み出す楽器に、すなわち体のバランスに問題があるわけです。
これを無視して、舌の位置はこう、口の開け方はこうだと無理やりやってしまのは危険です。
こんなことが起こってしまいかねません。これでは本末転倒ですよね。大げさな例ではありますが、珍しくは無いのです。これはもちろん、教える側にも責任があるでしょう。
滑舌・発音矯正は舌の位置や口の開け方などの正解をあてはめれば矯正できる、というような単純なものではありません。そもそも、口の大きさも、あごの骨格も十人十色なわけですから、その答えも無限にあるわけです。たとえば、あいうえおの「あ」で、口をやたら大きく開けさせたり、「い」で口を思いきり横に突っ張らせようとする人もいますが、これも実は慎重な判断が必要なのです。
相手は発音の正しさより、伝わる呼吸を聞いている
これは私が口をすっぱくして生徒さんに申し上げていることですが、大切のなのは呼吸です。なぜなら想いや感動は呼吸に宿るからです。
想いを呼吸に託す。しかし呼吸では大きな声や音にはなりませんし、意味も伝わりにくいので、呼吸をさらに、声や言葉・発音に託すわけです。ですから、いくら良い声でも呼吸が悪ければ、想いが乗らず、良い声自慢と思われる危険もありますし、いくら発音が正しくても呼吸が悪ければ、大変聞き取りにくいものになるのです。
そして、伝わる声を生み出す呼吸は、正しい呼吸法や発声法を知るだけでは作ることはできません。
もちろんこれは、体を楽器として鍛え、作り上げつつ進めていかねばなりませんので多少の時間は必要です。正しい呼吸法や発声法が基本ですが、それは体を作り上げることで、より容易に手に入ることをお分りいただけるはずです。
体を楽器に作り変えることについてはこちらの記事をご覧ください。
さて、ここで要注意なのが「詐欺師」です。彼らの中でもエキスパート(?)は、ちょっと聞いたら素晴らしいと思えるくらい、感動的な呼吸と声で人を騙します。それだけに、良い呼吸や声、表現を得られれば得られるほど、世の中を良い方向に持っていくような、優しさや社会全体を見渡す目も必要だと思うのです。
しかし、誤解を恐れずに言いますと、芸術も実は嘘なのです。例えば、絵画でもそれが事実そのものを表してはいません。写真にしてもそうです。歌でも、たとえ自分の実体験を歌ったとしても、今現在起こっていることではないし、演劇でも、違う性格・国籍・年齢、時には性別も演じます。
「聴衆や観覧に来てくださるみなさんにお断りの上、お互い承知の上」で、表現者が自分の想いを伝えるという最高の嘘なのです。それが芸術の素晴らしいところだと思っています。
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