「もっと気持ちを込めて」
「あなたは気持ちが足りない」
歌やセリフを習っていると、そんなふうに言われることがあります。
でも私は、本当に「気持ちが足りない」のだろうか…と思うのです。
気持ちが足りないんじゃない。
その気持ちを、声まで届け、表現として「世に出す方法」を知らないだけなのだと。
少なくとも、歌やセリフを習いに来る多くの人は、何かを表現したいと思っているからこそ習いに来るのだと思います。
「こんなふうに歌いたい」
「こんなふうに伝えたい」
その想いは、すでに頭の中にある。
ただ、その想いが身体、呼吸、そして声へ届く途中のどこかで、うまくつながっていないことがあるのです。そしてそれがどこなのか、原因は何なのか、自分では見えていないこともあります。
「こんなふうに歌いたい」が、そのまま出てくる体
体が楽器化することで、自然な呼吸が始まります。
さらに、息の圧力を作り、それを自由にコントロールできるようになると、頭の中にある
「こんなふうに歌いたい」
が、そのまま声になって出てくるようになります。
自分のやりたいことが、そのまま出てくる。
あるいは、「本当は私はこう歌いたかったのか」というものを発見できることもあります。
だから、無理に「うまく歌おう」としなくてよくなるのです。
気持ちが身体の中で増幅され、ちゃんと外へ溢れてくるから。
声を「出そう」としなくても、声が出てくるから。
声は、出すものではなく「出る」もの。
息も、出すものではなく「出る」もの。
そして気持ちも、無理に出すものではなく「溢れる」もの。
気持ちが自然に声に乗ってくるようになると、まるで今初めてそう思ったかのような自然さも生まれます。
これが、何回歌っても色褪せない「初めて感」です。
【参考動画】体の楽器化とは?
体の楽器化について、わかりやすい動画を作成しました。
ぜひご覧ください。
【声と表現が変わるボイトレ】「吸う」+「息が入る」で体を楽器化 → 腹式呼吸は自然に始まる
たとえ少し掠れても、裏返ってもいい
もちろん、最初からすべての音が完璧になるわけではありません。
少し声が掠れることもある。
裏返ることもある。
音程を外すことだってあるでしょう。
でも、表現そのものが生きていれば、その小さな失敗を表現が補ってくれるようになります。
そして不思議なことに、そうなった人は少しずつ本当に上手くなっていきます。
なぜなら、自分の声がよく聞こえるようになるからです。
つまり客観的に聞けるようになるのです。
自分の中にある理想と、実際に出てきた声の違いがわかる。
すると、先生にすべてを教えてもらわなくても、
自分で自分自身にアドバイスできるようになる。
それが、私の思う「本当に上手い人」へ向かう大切な一歩です。
困ったことに、みんながそうなれば、ボイストレーナーなんて仕事は必要なくなる…。
いや、それでいいのです。それが私の理想です。
「気持ちを込める」と「気持ちが溢れる」は違う
逆に、この「気持ちが声まで届くシステム」がうまく働いていないと、本人は一生懸命なのに、外からは何も伝わってこないことがあります。
すると、
「もっと気持ちを込めて」
「もっと感情を出して」
「あなたは気持ちが足りない」
と言われてしまう。
でも、本当に気持ちが足りないのでしょうか。
私は、そうとは限らない。
気持ちはある。
ただ、その気持ちを声まで届ける方法を知らないだけなのかもしれません。
「気持ちを込めているふり」になってしまう
ここでさらに「もっと気持ちを込めろ」と責められると、本人はどうするでしょうか。
なんとか期待に応えようとして、今度は
「気持ちを込めているように見える歌い方」
を作り始めることがあります。
楽しそうな顔を作る。
身体を大きく動かす。
声を必要以上に強くする。
それらしい抑揚をつける。
でも、それが身体の中から自然に生まれた反応でなければ、本人もどこか苦しいのです。
そんな残念なことはないと思います。
それを続ければ、やがて表現することそのものが嫌いになってしまうかもしれません。
かつて私は、それで歌が嫌いになりました
これは、私自身にも経験があります。
私はかつて、それで歌が嫌いになりました。
歌うことだけではありません。
他人に自分の喋り声を聞かれることさえ、嫌になった時期がありました。
「自分の声はこれでいいのだろうか」
「もっと正しくしなければ」
「もっと気持ちを込めなければ」
そうやって、自分自身をどんどん監視するようになる。
本来、自由であるはずの表現が、いつの間にか間違えないための作業になってしまう。
でも、本当は逆だったのだと思います。
うまく歌おうとしなくなると、本当にうまくなる
まず、自分という楽器を作る。
その楽器の中で自然な呼吸が始まり、息の圧力が生まれ、それが声につながっていく。
すると、頭の中にずっとあった
「こう歌いたかった」
が、やっと身体から出てくるようになります。
新しく気持ちを作る必要はありません。
もともとあったものが、ようやく外へ届くようになるだけです。
気持ちを無理に込めるのではなく、自然に溢れさせる。
そのために、まず体を楽器にする。
そうすると、たとえ最初は少しくらい下手でも、
「この人の表現、なんだか面白い」
「もう一度聴いてみたい」
と思ってもらえるものが生まれてきます。
そして、その表現を土台にして、音程も、発音も、声も、少しずつ整っていく。
結果として、本当にうまくなっていくのです。
気持ちは、出すものではなく溢れるもの
私は、歌や声のレッスンで、ただ「正しい声」を作りたいわけではありません。
その人の中にすでにあるものが、身体と呼吸と声を通して、自然に外へ出てくる状態を一緒に探したいのです。
声は出すものではなく、出るもの。
息も出すものではなく、出るもの。
そして、
気持ちは、無理に出すものではなく、溢れるもの。
そのための身体、そのための呼吸、そのための声。
たとえ最初は下手でも、もう一度聴きたいと思ってもらえる表現。
一緒に見つけていきましょう。
