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“いい声”より“人間の声”へ──私の原点にある「リヒターとバッハ・コア」

ダイアリー

バッハとリヒターの演奏に触れて

久しぶりにじっくりバッハを聴いていました。カール・リヒター率いるミュンヘン・バッハ管弦楽団&ミュンヘン・バッハ合唱団(バッハ・コア)。ロ短調ミサ、ヨハネ受難曲、マタイ受難曲……。

やっぱり、あの “血と涙が滴る” ような演奏に、心を持っていかれます。

バッハ合唱団には、決してプロ合唱団のような重厚さはありません。だけど、そのぶん余計なものが何もない。素直で聞きやすい声だけど、響かそうとか、いい声を出そうというような雑味がなく、純粋な祈りのような響きだけが残るのです。

学生時代に受けた衝撃

私は東京芸大時代、とにかく不真面目な学生でしたが、声楽科1年生のときに学内合唱でヨハネ受難曲を初めて出会いました。声楽科1〜3年、総勢180名ほどの大合唱団で、大変感動したのを覚えています。

その勢いのまま、池袋のWAVE(懐かしいですね)にCDを買いに行き、そこで出会ったのがリヒターのアルヒーフ盤『ヨハネ受難曲』でした。学生には痛い出費でしたが、「そういえば親がリヒターのことを言っていたな」と思い出し、衝動で買ってしまいました。

寮に帰って早速聴いてみると――。

「なんだこれは!?」

衝撃でした。声だけで言えば、芸大合唱団のほうがずっと迫力がある。でも、感動がまるで違う。

当時はその理由が全くわかりませんでしたが、今思うと、あの演奏は音がそのまま祈りや衝動や「人間そのもの」になっていたのだと思います。作り物の表現ではなく、自分の素直な想いがそのままリヒターの棒に反応している。

今動画で見ると、「こんなふうに振られたら、こう歌えちゃうよな……」と納得します。でもプロだと、方法論や癖や技術が邪魔をしてしまうのかもしれません。あのアマチュア合唱の素直さと美しさは、私にとって特別です。

家族とリヒターの不思議な縁

実は、私の両親は昔ミュンヘン音楽院に留学していたのですが、そこでリヒターをよく見かけたそうです。見かけただけでなく、父は、バッハ・コアの練習でバス・ソロでリヒターに駆り出されていたとのこと。両親は学生結婚。ミュンヘンで生まれた兄は、なんとリヒターに抱っこしてもらっていたそうです…羨ましい限りです(笑)

母が私を身籠ったとき、異国の地で二人目は大変だということで、母だけが先に帰国し、私は母の故郷・高松で生まれました。
「もし自分もミュンヘンで生まれていたら、ちょっとかっこよかったかも……?」なんて妄想もします。でも、うどん県の方が僕らしいかな?大好きだし、とてもいいところですし♪

声の原点としてのバッハとリヒター

こうして日本に生まれて、今、生徒さんたちと声を通じて向き合っている私ですが、その根っこには、やっぱりリヒターやバッハの “あの響き” が少しですが流れている気がします。

余計な「力」や「作り物の表現」を積み重ねるのではなく、身体の外側が開いて、内側が素直に動き、そこにあなた自身の衝動や祈りがそのまま響いてくるような声。

いい声である前に、人間的な声。声の前に呼吸、その呼吸に逆らわないこと。そして、その前に「生きている」ということ。

それはすべての表現に通じることだと思います。私は自分の意思がはっきりしないままに声楽を、状況に流されたはじめました。そして挫折し、音楽が嫌いになった時期もありました。声を出すのも怖い時期もありました。

挫折の末、音楽が好きではないなら、音楽に愛されようと、新しい研究を始めました。その中で私は、ポップス、演歌、ナレーション、声優、朗読……あらゆるジャンルに通じる、表現の呼吸や発声の原点を探し続けることになったは、やはりリヒターのバッハの影響があったと思うのです。

浜渦メソッドの核は、どうしてもそこに帰るのです。

原点に立ち戻る時間

リヒターとバッハ・コアの演奏を聴く時間は、私にとって「原点を思い出す時間」であり、「人間の声とは何か」を静かに問い直す時間です。

でもついつい、リヒターの指揮のモノマネをして熱くなっていくんですけどね…
私はモノマネ・歌マネもたくさんやりますが、リヒターの指揮のモノマネも結構うまいんですよ♪

今日はただ、そんな小さな原点の話でした。

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