自分らしく、自然に歌いたい。すなわち自由自在に歌いたい…そう思っている方は多いと思います。しかしついつい、自分らしさよりも人の目を気にしたり、自然な表現よりもカラオケの点数を気にしてしまう、うまく歌おうとして苦しくなってしまう、そのうちにどんどん迷ってしまうという方もまた多いのです。今回はそんな方へ、自由な歌唱の本質3原則と、それがなぜできないのか習っても身につかないのか…そのあたりを解説したいと思います。
自然で自由な歌唱に必要な3つのこと
自然に自由に歌うには、体の中に三人の担当者を住まわせて上げる必要があります。
2.息の圧力と重心で体内にリズムを作る担当
3.メロディやフレーズ感を想像する担当
この3人がいれば良いのです。厳密にはもうひとり必要ですね。この3人がお互い邪魔しあわず、でも仲良く連携しているかを監視する冷静な監督としての自分です。表現は熱く、うまく回っているときほど実は冷静に自分を観察できているものです。
1.は話すように歌うために、音程感覚のない自然な声を出すこと。2.はそこに圧力や重心のコントロールを加えることで、肺に圧力をかけたり(=気持ちをこめる具体的な行為)、アクセントや強弱を喉ではなく、あくまで圧力や重心コントロールで作ること(=自然な感情表現の具体化)、そこにあくまで独立して3.のメロディやフレーズ感の想像を加えることで、2.が影響を受けて、楽曲と融合し、さらに1.に影響することで自由にな歌唱になるのです。
「なんのこっちゃ!?」と思われる方も多いでしょう。しかしまあ、気にせずもう少し読み流してみてください。
話す・圧力と重心のコントロール・楽曲の想像=話すように自由に歌う
話す、圧力・重心、想像…この3人が決して邪魔し合わないこと…そうすると、やがて3人は独立しつつ仲良くなり、自由になる…これが表現の本質である。
【話す+圧力と重心のコントロール+楽曲の想像=話すように自由に歌う】
いえ、人間も幼少期くらいまでは天才じゃないかと思うくらいやってのける子は多いのです。しかしよく言うおとなになるに連れ凡人になるというやつですね。つまり自分でいつしか勝手に能力を手放しているだけなのです。更に習うことで、身につくどころか奪われてしまうことも多いのです。それはなぜか?もう手に入らないのか?そんな事はありません。
動画で解説【YouTube】
さて「ますますわからん!」という方のために、ここらで浜渦メソッド動画の紹介です。どれかひとつでもをご覧くだされば参考になると思います。レッスンでは、これらを具体的に身につけていただきます。これらのメソッドは勘があまりにも悪く、ボイトレや声楽のレッスンで「気持ちを込めろ」とか「息を支えろ」とか「腹から声を出せ」とか言われてパニックになり、発声練習をしても喉が痛いだけで何も身につかなかった私が、上手い人は本当は何をやっているかを研究・解析し、勘の悪い私でもわかるように、できるように、上達するように解説したものです。
【チャンネル登録はこちら】http://bit.ly/38pU0bd
なぜ表現の本質が身につかないのか
ここまでお話したことは、それっぽく格好つけて言う精神論ではありません。ここに書いたことが、難しく感じる人は、本来誰でもわかるはずが、いつの間にか雲を掴むような話に置き換わってしまっているだけなのです。
本当は誰でも理解できて上達して自由になる理由
しかしきちんと論理的に説明し(これも間違えると机上の空論の呼吸法や共鳴やミックスボイスの話になりがちです)、かつ実践的にやれば、どなたでも実感・体感とともに理解でき、何がどう難しいのか、何をどうすれば自由に歌えるのか、その道筋が見えるのです。
見えてしまえば、わかってしまえば楽になります。とにかくダメではなくなぜダメか、ただ練習するのではなくなんのために練習するか、先生に怒られないための歌ではなく自由で伝わる歌とは何かがわかるからです。
話す+圧力と重心のコントロール+楽曲の想像=話すように自由に歌う…これが歌唱表現の基礎であり、ボイトレや授業で体感としてまず教えるべきことだと私は断言します。いえ、基本的には、声優も俳優もNAも同じです。
そして悔しいことには、これらのコントロールが若い時からずっとできているひとは、こんなコントロールをしている実感などないのです。実感がないのに基礎ができている…だから自動的にミックスボイスや地声裏声など、息の圧力や重心のコントロールで、考えなくてもできる。
そうなんです。ミックスや裏声などが使えるものかどうかは、基礎次第なのです。逆に言えば、基礎ができれば、ミックスボイスや裏声と地声のチェンジ、もっと言えば腹式呼吸までおまけで付いてくるのです。呼吸法や発声法というのは、それ自体が基礎ではなく、基礎にくっついてやってくるものなのです。
横並びの優等生やブラック企業型では未来はない
だからこそ、本当の基礎の3原則ををしっかりやらなければならない。やれば誰でもできるのですから…しかしやらない。本当は幼少期〜中学生くらいまでの間に、難しい説明を抜きにして、体感として話す楽しさ、コントロールする楽しさ、想像する楽しさをつたえなければならないのです。でもやらない…というよりできないのです。
その理由ですが、まず大きいのは相手がなぜできないかわからない天才型の人や、逆に基礎ができていないのに頭の論理だけがある人は、机上の発声や形だけの呼吸法、説明のないレッスン、不自然でも楽譜通りなら偉い、覚えたら偉いというような価値観を優先しがちです。いや、学校の音楽の授業自体、自由に楽しむより、とにかく楽譜通り正しくきれいな声で元気に校歌を歌えているかが基準になったりしているのです。
結果として感動のない人と比べるようなうまさや、伝達力を持たない高い声が蔓延してしまいます。早い話、横並びで形は整っているのに個性も何もない…みんな優等生なのに廃れていく企業のようです。
元々デキる人が教える側に回ったときには相手がなぜできないのがわからない。天才打者が監督としても天才かといえば、そうでないことも多々ありますよね。だから教えられない。
その結果、古い根性論の価値観になり、いまだに多くの声楽やレッスンの現場で、ロクな方法論が示されないまま「練習が足りない!」「見て盗め聞いて盗め(しかも盗みたくないような表現の場合も反論できない)」がはびこり、その上でできないと理不尽に怒られて萎縮…。
「練習が足りないのはダメだろう?」…たしかにそうです。しかし何をどう練習してよいかわからない人は大勢います。また机上の論理の練習に疑問を持ち、前へ進めない人も大勢いるのです。その道を示さない限り、たとえ練習しても逆効果になりかねません。
萎縮して良い表現などできるわけもないでしょう。そうすると根性が足りないと言われたり。そこから逃れるため、生徒も表現しているフリをしたり、萎縮しているからカチカチの声、絶叫、絶望、音域コンプレックスに陥りがちです。これではまさにブラック企業そのもの。
日本全体の問題!?
なぜこんな本質を無視した上辺のうまさや、できないのは「お前の性根のせい」だという根性論がはびこってしまうのでしょう。
その遠因は、自分の気持ちをコントロールしつつ熱く語るより、気持ちを抑えて我慢する、多少のアラがあっても自由よりも中身がなくても見た目は合っている方を取る、または強要される、理不尽に怒られるから誤魔化す…そんな空気に巻き込まれているからではないでしょうか。
…そしてそれは、音楽や美術に限らず、学校の他の授業から、多くの仕事やコミュニティの現場で、多くの日本人に蔓延している国民病のようにも思えます。
ビ○グモーターの件はわかりやすい氷山の一角であり、本質は多くの場所で変わらないかも知れません。
でも私は戦いますよ!
わかりやすく、楽しく、何がなぜどうなのか、どうすれば上手くなるか、上手いとはどういうことか、気持ちを込めるとは具体的になんなのか…日本に決定的に足りなかったもの…伝えていきます☺️