無意識で歌える声
=指導者がレッスンで使える
……わけではありません。
たとえば、私は長男や娘と歌っている時、
特別なウォーミングアップをしなくても、
大抵、自由に歌えますし、声も出ます。
高い音も考えなくても楽に出るし、
ロングトーンも自然にどこまでも伸びる。
私自身、ただ楽しく気持ちいい。
これは確かに、
「体が、どう表現すればいいかを知っている状態」です。
でもそれは、
「体を言語化できている状態」とは違います。
言語化できない以上、レッスンでは使えません。
レッスンとは何か
私にとってレッスンとは、
自分の体のできている状態の解説であり、
相手の体の分析です。
だから、
無意識にできるだけでは足りない。
そういう指導者は、
つい「なんでできないんだ」とか、
欠点の指摘にになりがちです。
かといって、
自分の体を把握しないまま、
共鳴だのミックスボイスだのを、
なんちゃっての知識で教えるのも、
絶対に違う。
人が無意識に自由にできている時、
体の中で何が、どんな順序で、
どう起きているのか。
それを把握している。
つまり、無意識を意識してコントロールできる必要があります。
そうでなければ、
生徒さんと自分を重ねた時に、
何がどう違い、
その人にとって何が必要なのかが見えてきません。
「無意識でリラックスしていれば歌える」
「仕入れた知識でその場を凌ぐ」
これは、
指導者としてだけでなく、
演奏者としても未完成だと思っています。
演奏者は、
普段は意識的に練習し、
本番で無意識にできるようにする。
それが練習だからです。
ウォーミングアップの本当の意味
ウォーミングアップは、
単に声を出す準備をしたり、
体をほぐす時間ではありません。
ウォーミングアップとは、
自分を知る時間。
自分の意思で、
人が無意識に行っている自然な行為を、
時に増やし、時に減らしながら、
扱えるようになるための時間。
そうでなければ、
魅せる演技でも、聴かせる歌にもならない。
自由に歌うというのは、
ただ無意識に歌うことではありません。
無意識に歌える「いい歌」は、
本番では役に立たないことが多い。
本番には必ず、
緊張、意識、他者の視線が入るからです。
さらにレッスンだと、
その生徒さんが私もできそう、やってみたいと思ってもらえるように、
一人一人に合わせて、カスタマイズもしなければならない。
意識と無意識は対立しない
意識だけでもダメ。
無意識任せでもダメ。
ウォーミングアップでやるべきことは、
無意識にできていることを、
意識的に再現できる状態を作ること。
意識 vs 無意識、ではありません。
意識が、無意識を再現できる状態。
それが演技であり、
歌であり、
芸術だと思うのです。
……もう何百回も思い出してきたことですが、
今日も改めて、自戒として。
図解!人間=芸術=意識+無意識、関係図
最後に10年以上前の眠れぬ夜に、なんとなく書いた無意識と有意識の関係図です。
無意識に滲み出るのが実力である一方、無意識を意識的にコントロールする必要性も。

