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ステージ上にある見えない【綱渡りのロープ】に乗れ!

上達のアドバイス
「ステージ上には見えない綱渡りのロープがある。そこから落ちなければ何をしても自由だ。しかしステージに上がることは、機会さえあれば誰でもできるが、その上のロープに乗ることは至難だ。やっと乗れても落ちたら終わり。お客はその緊張とバランスを楽しんでいる、もちろん歌い手もそんなお客の興奮と自分の緊張を楽しんでいる」

声や歌や話すこと、演技の表現を綱渡に例えて書いてみました。重心をコントロールして息の圧力や漏らし方をコントロールすることでその上に立ち続ける。これは声の表現においても全く同じことです。その歌がうまかろうが下手だろうが、コントロールし続け、落ちないことが大前提です。

ロープに乗ることが基礎、落ちずにその上で自由に跳ねたり落ちるフリをするのが技術。歌も同じです。この至難の基礎なくして技術は成り立ちません。なぜ至難かと言いますと、我々日本人はこういうバランスがあまり上手くないのです(性格的に)。

皆さんの歌やセリフに、そんな綱渡りのような緊張感や呼吸がありますか?安全なところで正しい呼吸法や発声法や、ただ高い声が出て喜んだり、出なくて落ち込んだりしている方、ビブラートがどうの、ミックスボイスがどうのと言っている方、あなたはまだ本当の声や歌や演じる喜びを知らないかもしれませんよ…

乗るのは大変、落ちたら終わり…それがボイトレの基礎

ステージ

実際舞台上の見えないロープから落ちても死にはしません。しかし表現と呼吸は死にます上手くても、いい声でも、どんなにひとより高い声が出ても表現は死んでしまいます。表現の絶えた良い声など、もう良くて雑音、悪くいうと騒音です。

重心のコントロールを失った演技はもう演技くさいだけ、呼吸は途端に破綻して声とつながらない…落ちれば最後、最初から安全なところで何となく上手く歌おうとしていたヤツの表現にすら負けるのです。これが表現の本当の恐怖かもしれません。

なぜなら落ちた時の歌い方など知らないから。いや、知っていても上手いふりなど絶対したくない。つまり選択肢が100か0しかないのです。落ちたらそれまでは第一線のプロでも一般人以下に…。「数年ぶりにカムバックしたあのうまかった歌手が一般人以下になっている…でもその数年後また最高の歌を聴かせている」これは0か100かの好例でしょう。

そのくらいの差があるのが本当の表現の世界です。なんとなく平均点とかせめて50点とか…そんな保険は表現には無用です。というか、そういう保険がむしろ邪魔をします。

落ちれば安全な場所のヤツにすら負ける!?その恐怖と優越感

いやしかしそんな100か0なんて怖いですよね…でもやるんですよ!

できた時の充実感、誰かと比べる必要のない個性溢れた、でも動物としてバランスの取れた表現…こんな楽しいことはないですから…人も動物も、バランスが取れていることがお金や地位などを取り除いたところでの幸せなのです。(断言)

100の表現とは、単純な上手い下手とか楽譜通りに歌えるとかではありません。体の開く力と閉じる力、圧縮する力、そこから生まれる呼吸と声のバランスが自然であり続けることの中での表現です。それは人が本気で感動したり喜んだりする時の動きとイコールです。だから伝わるのです。

誰とも比べない、あえて言えば過去の自分に対する優越感です。

落ちなければ何をしてもいいのが表現だ!

もっと楽しいこともあります。

HIRO
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落ちさえしなければロープの上で何をやってもいいのです♪

だから私はこの本当の基礎ができた人には「こう歌えとか」「ここはもっと優しく」とか一切言いません。表現ができているのですからどう歌おうが生徒さんの勝手じゃないですか

これ、抽象的な話とか例え話と思うでしょう?違うんです。このバランスをとることこそ、本当の自然で感動的な高い声や低い声、意味のある音量、伝わる音色の源なのです。

簡単に言えば、肺の圧力を重心のコントロールで可変させるうんぬん…ですが、これは長くなるので次回あたりに書きますね。

安全な丸太の上で歌う上手い歌はいらない

ロープの下、つまり安全な地上でどんなに上手く歌ってもそれは誰も見向きもしません。カラオケの点数は振り向いてくれるかもしれませんが…人の心には届きません。理由は、もうさっき書きましたかね?文章力がなくて皆様にはご迷惑をおかけします💦

書いているかもですが、補足しますと、安全な歌が届かないのは、人は相手の声に呼吸を感じ、呼吸に感動を感じるからです。そしてその感動とは、気持ちを込めてあふれさせること…と言うとこれまた精神論に聞こえたあなた、世の中の胡散臭い情報に毒されていますよ!?

気持ちを込めて溢れさせるという具体的行為=基礎

気持ちを込めるとは頭の中での話ではありません。それは思っているだけ。

気持ちを込めるという行為を具体的に言うと、肺を膨らませて圧縮することです。つまり…

肺に空気を適切に入れる(気を持つ)、それを圧縮(込める)わけです。その時わずかな空気穴から息が溢れ出す…これが気持ちを込めるという具体的な行為なのです。その息を圧縮の度合いの可変や漏らす息のバランスで大きな声、小さくても感動的な声、高い声、興奮や冷静を装った興奮なども作り出すのです。
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つまり気持ちの込め具合と音域・音量・音色・リズム等は密接に関係していると断言できるのです。

しかしそのためには、風が吹こうが揺れようがロープから落ちてはならない、綱渡りのような重心のコントロールによる呼吸圧と底から溢れる呼吸量と強さのコントロール(ブレスコントロール)が必要なのです。これが本当の基礎です。でもそんなこと、誰も教えてくれませんよね。基礎というとすぐ腹式呼吸とか、発声法とか…となりがちですが、それを安全なところで探してもなにも見つからないのです。

体のバランスを覚えれば腹式も発声の基礎も簡単

ところがロープに乗るような重心コントロールと息の圧縮という体のバランスを覚えると、もう腹式も発声の基礎も簡単にできます。これもなかなか信じてもらえません。なにせこういうまだ誰も言語化していない本質というのはなかなか伝わらないのです。

HIRO
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そもそも腹式呼吸や発声法というのは、体のバランスが取れている人ができていることを後から分析したものに過ぎません。

つまりバランスが取れるから腹式も表現も気づいたらできている、だから気づいたら上手くなっているが正解であって、腹式ができるからバランスが取れる…訳もなく、表現しようとするからバランスが取れるわけでもありません。

バランスが取れないまま、どんなに上手く歌おうとしても、気持ちを表そうとしてもどんどんわざとらしくなるだけです。

習っても、ボイトレ動画を色々みても上手くならない方はほぼ間違いなく、これです。つまりロープに乗るような重心コントロールと息の圧縮という体のバランスを知らずに、またその努力をせずに、別の努力をしているのです。

ロープという本当のステージから降りたところの努力はほとんど意味をなしません。本番の緊張感を持って練習しろというのは、こういう具体的な意味で本当なのです。

良い表現に不思議の良い表現あり、まずい表現に不思議のまずい表現なし

バランスが取れるようになると、なぜか歌もセリフもナレーションも成立するようになります。

表現が成立するとは、上手いとかいい声とかではありません。相手がなんとなくでも納得してしまい、思わず聞いてしまう状態になること、その及第点に至ることです。

野村克也監督のことば

「勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし」そんな言葉をよく言われてましたね。声の表現においては全くその通りなのです。

バランスが取れれば、ロープに乗れて、ロープから落ちない範囲で自由自在に歌えるし、言葉の途中で息を吸っても自然に聞こえてしまうし、棒読みでも感動が伝わるようになります。なぜか?説明するのはものすごく大変です。答えは「バランスが取れたおかげで自由に重心のコントロールと息の圧縮ができるから」なんですが、いやだからバランスが取れるとなぜそれができるか?と言われれば答えるのは大変です。

しかし、バランスがどこか崩れると息が抜けたり、喉を押し上げたり、息が止まったり、圧縮が足りなくなって、それらの原因がすぐ、詰まった声や浅い声、続かない声、表現の未熟さなどとなって表れます。誰がみても「あそこがこうなったからここがダメになった」とすぐわかるのです。

できない理由は簡単、できる理由は説明が難しい【評論家になるな】

上手くいくときはその理由ははっきりとわからず説明も難しいが、できないときは理由は明確、説明も簡単なのです。そもそもロープに乗っていなかったり、ロープからおちたりしているわけですから。

できない理由は簡単なのです。だから多くの人は自分ができもしないのに、評論家目線にはなれます。空振り三振を見て、野球をやったこともない人が居酒屋のテレビを見て「腰を入れて打たへんからや!」などとくだを巻くことはよくあることです。

歌も同じ、相手の欠点は実に簡単に見つかり、その原因も簡単。相手の長所はあるのはわかってもそれが何なのか上手く説明しづらい。例えば感動させられてもなぜ感動させられたのかわからない。「良い声で感動した」といってもよく聞くとハスキーだったり、途中途切れていたり、小さい声だったりすることは珍しくありません。でも感動させられたとき、人は、それを良い声だ、良い歌だと認識します。理由はわからないままに。それがバランスなのです。

ステージ上のロープの乗り方、重心の取り方教えます

これらのことを具体的に教えてくれるひとはほとんどいません。できてほしいと願いつつ言語化できていない人は多くいます。最も多いのは、腹式呼吸や溢れる表現を生み出すバランスを教えず、腹式呼吸や「こう表現しなさい」と指導するパターンでしょうか。これが経験上最も多く、そして良くないパターンでしょうか。人間としての重心や呼吸圧のバランスができるから始まる腹式呼吸や発声法を、それを無視して学んでも意味がないのです。腹式呼吸はできるけどそれが表現と関係ないという状態は、大問題なのですが、本当に多いのです。

HIRO
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表現を無視して身についた呼吸法や発声法はいつか外してやり直さないといけません…それは経験やプライドが邪魔して本当に難しいのです…

「いやいや、そういうレッスンでも上手くなる人はいるぞ!」

その通りです。だからできないのは「努力が足りないか」「お前の理解が悪い!」…んなわけない!!それは教える方の言い訳です。

本質を教えていないのに、その生徒さんが自力で見つけたか、習う前からできていただけです。できないのは教え方が悪い…少なくとも我々ボイストレーナーや声楽や演出家はそう思わないとお金をいただく意味がないのです。

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