ボイストレーナーの浜渦です。歌はどんなに呼吸法や発声法を研究し、いろんなメソッドを実践し、ボイストレーニングに通い、声楽レッスンに通っても、なかなか上達しない人、想いと感動を伝えるという意味の「本当のうまさ」を手に入れられない人はたくさんいらっしゃいます。
一方、習ってもいないのに「この人、なんでこんなにうまいの?」という人がいるのも事実です。一生懸命やってもなかなか上達しない人にとっては歯がゆいところですよね。しかし「私には才能がないから」とあきらめるのだけは待って欲しいのです。それは本当に人生を損しています…というような言い方はずるいかもしれませんが、あきらめる前に、いえ、あきらめてしまった人も、知っておいて損はない呼吸法と発声法の捉え方についてお話ししたいと思います。
そしてもし「もう一度歌ってみよう」と思ってくださったら、こんなに嬉しいことはありません。
歌の上達に才能は関係ある?関係ない?
私もかつては、どんなに研究しても思い通りに歌えず「発声迷子」になり「表現音痴」になり、それは「才能がない」からだと決めてかかっていました。そして誤魔化しで入った芸大時代はもう地獄でした。卒業する頃には「二度と人前で声なんぞ出すものか」とも思っていました。
歌に限らず、演技、セリフ等がうまくなる人とならない人の差はいろいろありますが、まず皆さんに信じていただきたいのは、持ち声や体格などについては才能はほとんど関係ないということです。むしろ「持ち声が良い声」などの分かりやすい才能は、そこに頼ってしまい、表現力のなさを「知らず知らず」に、また「焦りから」良い声で誤魔化そうとしたりして、逆に足を引っ張ることの方が多いのです。私もそれをやってしまい、当時は自分ではそんなつもりはなかったのですが、大変苦労しました。
ですから生徒さんの感動的な表現を指して「良い声だ」というのは良いのですが、持ち声を必要以上に褒めることはよくないことなのです。
さて、こんどは歌がうまくなることについて、才能が関係あるかどうかですが、はっきり申し上げますと、実際に才能が関係してくるのは最後の最後、実力を出し切った後の話です。つまりあるとも言えますし、才能の出し方を知らない人にとっては、いつまでも関係ないとも言えます。どういうことかと言いますと、私もそうでしたが、多くの人は才能の出し方を「知らないま」才能があるとかないとかという話をしてしまいます。つまり才能というのは、多かれ少なかれ誰にでもあり、たくさんあっても出し方を知らなければ意味がなく、仮に豊かな才能と言えないとしても、それを出し切れるかどうかにかかっているのです。
才能を出せるかどうかは、目的と手段とその方法を見誤らないことです。
呼吸法・発声法の捉え方次第で結果は劇的に変わる
さて、歌がうまくなる・ならないの大きな要因の一つに腹式呼吸や発声法の「捉え方」があります。腹式呼吸が正しいとか、間違っているという話ではありません、そもそも腹式呼吸や発声法がなんのためにあり、なんのために必要なのかという、あくまで「捉え方」です。この捉え方を見誤ると、どんなに腹式呼吸をやっても(健康にはなるかもしれませんが)歌は上達しないでしょう。
そもそもなんのために腹式呼吸をやるのか
簡単に言ってしまえばこれが全てです。スイスイ上手くなる人は、誰に習わずとも、この「理(ことわり)」を身につけていたり、少しレッスンに行くだけで、ろくに習っていなくても自分で勝手に身につけていきます。(※へたに習ってしまうことでこの才能を手放してしまう人も少なからずいらっしゃるのも事実です)
しかし次のように思ってしまう方もいらっしゃるのではないでしょうか。
この二つの考え方の差にお気づきでしょうか。順序が逆なのです。確かに発声法や呼吸法、ブレスワークが悪ければ、良い歌を歌うのは難しいでしょう。
スイスイ上達する人は「感動した状態とは何かを知り、その状態をキープして相手に伝える(=目的)ために必要な呼吸(手段)」という明確な価値観を持っています。
その目的無くして「腹式呼吸と発声法ができたら歌が感動的になる」と思っていては、たとえ上達しても、本当にじわじわとしか上手くなりません。実際10年20年30年と続けても上手くならない人は多いのです。その方法で上達し、自由に気持ちよく歌えるようになるほど、人生は待ってくれません。
相手に伝えるのは「想い」であって呼吸法ではない
相手に伝えるのは感動や驚きであって呼吸法や発声法ではないのです。「そんなことは百も承知」と言われるかもしれません。では感動や驚きはどうやって作るのでしょうか。感動を作ることができ、さらにそれをキープし、呼吸で体の表へ出す必要性を知って、初めて腹式呼吸の必要性がわかるのです。人によっては、必要性すらわかっていないのに、感動を伝えるために自動的にできてしまうのです。
これが歌がうまくない人とならない人の大きな大きな差の一つなのです。
気持ちを込めるとは、感動を作るとは、精神論の話ではありませんし、気持ちだけでどうなるものではありません。もちろん、人によっては気持ちを込めれば、自動的に体に感動が宿る人もいるでしょう。それこそ才能があると言えるかもしれません。しかし、そういう人はボイストレーナーには向いていないでしょう。習いにくるのはそれができない人、悩んでいる人なのですから。
これまでのボイトレ・声楽レッスンの問題点
批判的なことを書くのは、あまり良くないことかもしれませんし、嫌な奴だと思われても仕方ないのですが、それでも私は必要なことだと思いますので、恐縮しつつ書かせていただきたいと思います。気に障る方もいらっしゃると思いますがどうかご容赦ください。
…さて、このように上達する人、しない人の差ができる原因の一つとして、これまでのレッスンのあり方にも言及しなければならないでしょう。
最近のレッスンでは、呼吸法や発声法においては、かなり具体的かつ、必要以上と思えるくらい科学的に、時には医学的に解説されるようになりました(ただし、医学的に声帯の動きや専門用語を知ったところで上達するわけではないので、それらは、うまくなったあと、余裕があれば知っておく、という感じにしておくことをおすすめします)。
しかし「感動の体の状態を再現し、それを伝える」という、そもそもの大前提となる「目的」の部分については、姿勢や表情の話には言及するものの、具体的にその方法については、ほとんど教えられることはありません。
つまり心の底から感動した時に、身体がどう動くと自然と言えるか、そしてその再現のための具体的な方法については、いまだにあいまいにされ、きちんと教えられていないのが現状なのです。これでは自分の体がどんな楽器であるか、あるべきかを知らないのに、演奏法だけ勉強しているようなものです。
感動した時の体の動きを知り、さらに何百人、何千人ものお客さんに伝えられるほど大きなスケールで再現でき(これはどの程度を皆さんが目指すかで変わります)、その状態を呼吸で伝え、そしてその呼吸に声を乗せることで「大きな感動を」「自然に」「まるで初めてそう思ったように」伝えられるようになるのです。
しかし、この感動の再現方法、呼吸との関係、声に到るまでの流れやバランスについては、いまだに、「気持ちが足りていない」というような、分かりそうで分からない話になってしまったり、「見本を見て盗め」的な古典的な方法になってしまう傾向にあるのです。
気持ちがなかったら、皆さんはそもそも習ったりはしないでしょう。「見て盗め」ならば、いくらでも上手い人がいます。
つまり呼吸法や発声法、しゃくりやフォール、ビブラートといった「表面的」「装飾的」な部分は非常に具体的であるのに、みなさんの体の底からの想いを伝え、個性を発揮する方法、表現法の大本については曖昧なままなのです。特にミックスボイスやミドルボイスなどは、この体のバランスを知ることで自動的にできる大昔からある基礎にもかわらず、まるでそれが画期的な手段であるかのように宣伝されているのは、本当に大きな問題だと思います。
どうしてもこの手の話になると現状批判的になってしまうのですが、人は感動した時にこのように身体が動き(=体の楽器化)、必要から腹式呼吸が生まれ、それが声につながるという、自然な感動の再現方法の説明と、それこそ、それを生徒さんに分かりやすく実践で見せる見本、たとえば「ではいまの説明通りスローモーションでやってみるので見てください」「では少しずつ皆さんも実践してみましょう」というような具体的な指導する力量は必要だと思うのです。
ボイストレーニング業界も、ここ10年〜15年くらいで本当に変わってしまいました。確かに資格も何もいらない自由で大好きな仕事ですが、声はその人の今現在の体と心のバランスの結果とも言えます。大きな責任を感じ、そして何より大切なお金をいただいていることを忘れてはなりません。
※表面的なものに対して批判的に書いてしまいましたが、お手軽なものを全否定する気はありませんし、少しうまく聞こえればいい、というものもあって良いと思います。