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【空間の共有】空気を創り、壁を取り払い、相手の心に伝わる歌と声の表現を手に入れよう【体の楽器化】

手を開くボイストレーナー浜渦弘志 上達のアドバイス

歌や演劇をはじめとした体を使った表現の本質は「空気」を作り、多くの人と「空間」を共有することではないでしょうか。さあ、体を楽器化することで、多くの人に伝わる本当の意味で上手い歌、伝わる表現を自分のものにしてください。共有するということは、人間の、いや多くの動物にとっても根源的な喜びであり、生きる誇りであると思うのです。

自分の体と喉を開き楽器化する=共有できる空気を創る

普通、楽器は木や真鍮といった材料から職人さんが作りますが、人間は自分をの体あらゆるパーツをを素材として自分で楽器に作り上げなければなりません。これを私は体の楽器化と呼んでいます。楽器化とは具体的に脇腹や背中を開き、喉と接続し、空気を創ることです。そして肺の底からあらゆる人の住む、外の世界までなんの障害物も作らずに呼吸を届け、そこに声を載せるわけです。それはありのままをさらけ出すことと言えるでしょう。

実は人間は感動した時に自然に、声や体の表現に最適な楽器に近づくようにできています。

実に面白いところです。しかし、体を閉じて、停滞させ、頭だけで物事を考えると、出てくるのは愚痴(健全な批判ではなく)やそれこそ理屈っぽい発声ばかりになってしまうでしょう。それはどんなに言い分が正しくても相手のこころに伝わることはないでしょう。

共有は人間の根源的な喜び

ただ頭の中にある感情をさらけ出すのではありません…「気持ちを込めろ」と良く言われますが、極端に言えば喜怒哀楽はあってもなくても良いと思います。これも二の次なのです。感動を創る楽器と化した自分体と世の中を繋げるという、すごく単純なことで、空気を創り、繋がることさえできれば、絶望という感情や、ほんの少しだけ嬉しいといった微妙な感情を、より多くの人と共有できるのです。

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共有するということは、人間の、いや多くの動物にとっても根源的な喜びであり、生きる誇りであると思うのです

喉を開ける…とは?

レッスンの現場では「喉を開けろ」「喉を閉めろ」とよく言われます。よくわかったようなわからないような言い方ですよね。喉を開けようとすると「閉じろ」と言われ、閉じようとすると「開けろ」と言われます。

今回の記事の中心ではないのでかいつまんでご説明します。

喉を開けるとは、リコーダーやトランペットなどの管楽器を思い浮かべてください。管はストロー状に細い(閉じている)ですよね。でも中は空洞である(開いている)…この状態が喉を開けるです。
細いという意味では喉は閉じていますし、空洞という意味では喉は開いています。これがレッスンの現場では上手く伝わらずに「管を太く、中が詰まる」と勘違いする生徒さんが多いのです。さらに「声帯を閉じる」が加わって混乱するのです。
声帯をはそもそも任意で動く筋肉ではなく、無意識に近いものです。体を開き喉と接続して、楽器化することで、呼吸が生まれ、その呼吸が声帯の形や動きを決めていきます。レッスンでもっと声帯を閉じてとか集めてと言われても、呼吸がダメなら不可能ですし、呼吸は体がダメなら作れないのです。
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体を使わなくてもそこそこの呼吸で、声帯や共鳴をいじくって、そこそこの高い声や、なんとなく「らしい歌」を歌うことも可能ですし、教え得るのも簡単なのですが…それは人の心には届かないし、表現の本質から外れてしまいますから私はお教えしません…

詳しくはレッスンでお伝えしていますが、ブログでもまたお伝えしたいと思います。

体が楽器になれば呼吸法と発声法の基礎は90%は完成する!?

自分の体が楽器になって、肺と世の中が繋がっている空気の創造と空間の共有状態が維持できれば、呼吸法・発声法・演技の基礎の90パーセントはもうできていると言っても過言ではありません。これがボイストレーニングや声楽、演技の大切な基礎なのです。

実は、自分の体が人との共有を目的とした「楽器」と化せば、その時点で『楽器を維持する必要から』基本的に腹式呼吸しかできなくなりブレスコントロールを覚えるのです。

このことを発見した時の私の驚きはいかばかりだったでしょう。かつて私も、腹式呼吸をすれば歌が上手くなるとか良い声になると、なんとなく噂のように信じていたのですが、自分で意識した、あるいは形式的な丹田呼吸や横隔膜呼吸ではなく、自分空間を共有することで呼吸法があとから導き出される。

つまり「逆」だったのです。腹式呼吸ありきではなく、発声法ありきではなく、感動を作り出す体という楽器ありきなのです。

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楽器を弦楽器に例えるならば、体はヴァイオリン本体、呼吸は弓、声帯は弦と言ったところでしょうか。もちろん、一番値段が高いのも、重要なのも、楽器本体です。つまり私たち人間も呼吸法や演奏法、発声法を云々する前に、楽器を成立させなければならないわけです。

楽器を作ることで絶叫しても壊れなくなりますし、よくボイトレスクールの謳い文句になっているミックスボイスや・ミドルボイスも自然にできるようなります。これはごく自然で当たり前のことなのです。

声を出している時だけが表現ではない

声を出している時だけが表現ではありません。ピアノやドラムは、音が出ていないときでも、いかにも素晴らしい音が鳴りそうな、楽器であり続けます。私たちも声を出してえいる時だけ楽器にしようとしても間に合いませんし、なにより空気を作り出すことができません。

楽譜にある休符の記号を字のごとく「休んで」しまってはいけません。

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休符の間も、歌が始まる前から物語は始まっているのです!

 

体が楽器になればいろんな才能が開花する

そしてもうひとつ体を使った表現の面白いところは、体を表現のための楽器に作り変えることで、体の使い方や呼吸と声、発音などの生まれる順序やバランスがわかり、演技も歌も、喋りも、発音も、立ち姿も気付いた時には全て良くなっているということです。

しかし多くの人が、このことを知らずに、いきなり演奏法、呼吸法、ミックスボイスなどの発声法から始めてしまいます。もちろん感覚の鋭い人や勘が冴えたひとはそれでもできてしまいます。そして多くの先生はそういう、最初に苦労をあまりしなかった人がなるために、これまでのボイストレーニングや声楽レッスンでは「できる者の論理」が働き、体の本当の使い方の本質を教えてこなかったのです。

指導者に必要な「できる者の論理」と「できない者の論理」

ある生徒さんが

「できない人ができるようになって、さらにコーチングまで習得すると最強の先生です」

…と言ってくれました。私がそこまで到達できているかはともかく、まさに私が目指しているものもそこでした。教える側がどんなに方法論を知っても、本人ができないままだと「できない者の論理」で論理的に教えることはできても、やはり本質にはたどり着けない。頭でっかちになり、声がよくなっても、高い声がなんとなくでても、感動的な歌にたどり着けないのです。

そうなると、できない人はものすごく時間がかかるか、言い方は悪いですが、歌が上手いフリという対症療法に終始するか、やがて嫌になってやめてしまうか…私は嫌になってやめかけていたクチでした。

あらゆる場面で自分の壁を取り払い、伝える

自分の苦手な人、緊張する場面、苦手な人種、嫌いな主義主張の人の前でも、まず共有する空気を創り、壁を作らない体になることが大切です。そんな体になることが、人間にとっては自分が感動を生み出す楽器になることにつながりますし、逆に体を楽器にすることで、いままで自分の前に作っていた壁が崩れていき、自由な新しい世界に出会えるのです。空気を創るとは、雰囲気や精神論の話ではなく、まさに体を使った、直接的な行為なのです。

しかし、それでも人は壁を作ってしまいます。自信をなくして、あるいは劣等感から、憎しみから。激しい疲れから体の機能が衰えたり、燃え尽きて体がうごかない時もその危険があります。

自ら壁を取り払うことで認め合うきっかけを作る

もし嫌いな人種や宗教、主張の人間に、こころから歌を褒められたら、みなさんはどんな感情を持つでしょう。嫌いなアンチキショーに褒められたら…私ならきっと嬉しくなってしまうでしょう。

「お前の考えは間違っているが、本当に感動した」と。

「お前は嫌いだが、存在は認めてやる」そんな風に言われたような気分になると思うのです。

…それは私たち人類が分かり合える第一歩ではないかと思うのです。しかし、こんなに偉そうなことを言わせていただいておりますが、私も嫌いな人たちはいまし、こんな自分の理想論をいけしゃあしゃあと臆面もなく書くような私を嫌いな人もたくさんいるでしょう。そういう人の前で壁を取り払うことは精神的には確かに辛いです。しかし、体から開いていけば、心はきっとワクワクしますし、小さなことに捉われなくなるはず。

脱・排除の論理で上手く歌う歌から「伝わる歌」を

嫌な奴は放っておけ、同じ意見のものだけで集まる…確かにラクそうではありますが、それは排除の論理であり、実名で生きる世界では息が詰まってしまうのではないでしょうか…。

人は体を気持ちから体を起こし、ワクワクさせることもできますが、気持ちは水物ですし、無意識です。ならば、自分の意識で動かせる体からアプローチし、ワクワクした呼吸を創り、気持ちを起こし、壁を取り払う、それが私のボイストレーニングの根本にあるものです。そこには自由な表現の世界が待っているのです。そうなった時、あなたの歌は、声は、誰と比べてでもなく、カラオケの点数からも離れて、自由に動き出し、想いを載せ、伝えることができているでしょう。

表現の本質は空間の共有にある

歌い手や役者に平和的、博愛的な考えの人が多いですよね、それは、たんなる平和主義者とか、こころの優しさがどうのではなく、そもそも「表現の本質が多くの人との空間の共有にある」からではないでしょうか。

ギスギスした世の中。コロナウイルス、先の見えない経済と政治、誰もが損をしたくなく、多くの人が閉塞感を感じているこの世の中で空気を創り、共有することは難しいですが、それがあれば、あらゆる考えの人間が、オープンに正々堂々と議論をたたかわせて、化学反応を起こし、新しい考えや次の一手を見つけ出す。そして休憩時間には一緒に歌い、食べる。そんな人間が増えればきっと世の中は良くなる…それが人間の進化ではないく、そんな風に思うのです。

これは言っている私からして不可能にも思いますし、なんぜ年かかるかわからない…。私が、すぐに落ち込み、それと同時に、壁を作り、排除しようとしてしまいますから💦

でも、諦めない…諦めませんよ…!!

浜渦ボイトレメソッドについて

浜渦メソッドは、これまでのボイストレーニングや声楽レッスンの問題点を解決したボイトレメソッドです。誰もが「自然な感動を再現」するための体と呼吸と声のバランスを知ること(体の楽器化)で才能に関係なく上達します。面白いことですが、本来、横隔膜(腹式呼吸)は胸回りを感動を生み出す楽器の状態を維持するために自然に動き出すものなのです。そして声帯はあらゆる方向に意識したままに動いてくれるようになるのです。

プロアマ問わず、ポップス、声楽、ナレーション、俳優、声優、ジャズボーカル他、お坊さんも通われています。声楽専門、ポップス専門の方が安心と思われるかもしれませんが、全ては体を使った声の表現です。私もかつては出身である、声楽専門でしたが、人が全身を使い切って、体と喉を開いて、自由に表現することに変わりはありません。

逆に、先にジャンルありきですと、ジャンルの声を優先して、体の使い方を覚えないまま、呼吸法や発声法にとらわれて、結果として「声楽風」「ジャズっぽい」「プロっぽい」といった、言葉は悪いですが、フェイクに向かってしまう危険があります。つまり、たとえ上手くても偽物の一流になる危険があるのです。

自分の思いや民族の誇りを「伝える」ためには、思いを宿すことができる体の使い方「体の楽器化」が必要です。そこにジャンルは関係ないのです。

声楽、ポップス、ジャズ…笑い方、演技、驚き方、民謡や、本当の自然なレガートとは何か、呼吸と声で物語を紡ぐ方法、間(ま)の作り方まで、どなたにでもご納得いただける解説、「何を・なぜ・どのように」お答えし、マネのできる見本、実生活から得られるヒントなど、これまでにない、本質のレッスンをお届けします。

あなたの体が、感動を生み出す楽器になったとき「本当はこんな歌が歌いたかったんだ」「今度は違うジャンルを歌ってみよう」「演劇にチャレンジしてみよう」と、その可能性はもっともっと広がることでしょう。皆さんとお会いできる日を楽しみにしております。

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