最初に、「音楽は手段」と書いていますが、もちろん音楽を軽視しているわけではありません。音楽は、作曲者の想い、歌い手の想い、楽器奏者の想いを形にしてくれる大切なものです。
そういう意味で、私はここでは「手段」という言葉を使っています。画家にとって絵が表現の手段と言えるでしょう。小説家にとって文章が表現の手段であると。
人間の内側にあるものを外へ形にするために、音楽という媒体=手段
まず最初に、そのことだけお断りしておきますね。
「目的は表現、音楽はその手段」。自然に話すような歌と、何回歌っても失わない「初めて感」こそ大切であると、私はレッスンでお伝えしています。
「正しく歌おう」とするあまり、“自分の表現や、体という楽器”の形、各部が連動して動くシステムまで壊していませんか?
楽曲に自分を合わせるのではなく、自分という楽器に楽曲を乗せるという大前提を、見失ってしまっている状態です。
そうすると、ボイトレ(発声練習)ではうまく声を出せるようになっても、本番の歌では喉が苦しくなったり、音程は合っているのに、なにかハマらない感じが出てしまいます。
では、どうすればいいのか。今日もレッスンで実践しました。
表現を取り戻した皆さんは、
「こちらの方が、声も楽だし、歌いやすい。」
「なんで、さっきまでしんどかったのかな?」
と言いつつ、「なんだか腑に落ちました」ともお答えいただきました。
音程も、リズムも、歌詞も、もちろん大切です。
でも私は、それよりも先に守ってほしいものがあるのです。
最初のうちは、間違えてもいい
私は生徒さんに、
「自分の表現があるなら、最初のうちは音程もリズムも歌詞も間違えていい」
と言います。
ここでいう「自分の表現」とは、まず、自分の楽器としての体と呼吸のこと。
ピアノなら、楽器本体と、それを演奏する手の動きです。
そこから、
「こんな風に歌いたいんだ」
「こんな風に弾きたいんだ」
というものを出し続けるのであれば、乱暴に言えば、最初は止まりそうにゆっくりでも、間違えても、作曲してしまっても、声がひっくり返ってもいい。
まず守ってほしいのは、自分という楽器の形・スタイルと、その演奏です。
正しくするために、楽器そのものを動かさない
でも、間違えないために。
変な声が出ることを恐れて。
体や喉という“楽器そのもの”の形を崩したり、部分部分をいじって音程や発音を探さないこと。
それでは、楽譜通りに弾くために、手ではなくピアノの方を動かしているようなものだからです。
(発声では昔は、「音を迎えに行くな」という風に表現されることが多かったです。)
もちろん正しい音程も、リズムも、歌詞もとても大切です。
でも、順番があります。
まず、自分という楽器と「演奏=表現」を育て、守る。
そこへ音程・リズム・歌詞を乗せていく。
素晴らしい楽器と演奏があれば、音楽はいずれ合ってきます。
楽曲に自分を合わせず、自分に楽曲を乗せよう
この「自分という楽器で演奏する」という土台が、まず自分の中に出来上がる。
その土台があるからこそ、そこへ音楽を乗せられるようになるのです。
でも、土台ができる前に、何がなんでも音痴はいやだ、間違えないぞ、とやりすぎると、楽器の方を楽曲に合わせてしまうんです。
たとえ土台ができても、音程やリズムを探ろうとすると、この土台が崩れてしまう人も多いですね。
言い方は難しいのですが、しっかりした土台というのは、呼吸を受け止める抵抗のようなものでもあります。音程や、リズムを探る時、この土台をはずした方が、音が取りやすく感じてしまうんです。
また、自信がない時も、この土台を崩したくなります。
「自信がなさそう」な人、というのは、この土台が崩れているのが周りにも「自分にも」バレているんですね。
自分にもバレるから焦るんです。
本人は「正しく歌おうと思っているのになぜうまくいかないんだろう?」と、なってしまう大きな原因にもなります。
ですから、言い方は乱暴ですが、まずは、
「音もリズムも適当だけど、この人の表現面白い!」
そう思えるような表現を目指して欲しいのです。
でも、信じて欲しいことがあります。そういう表現ができた人って、
音程も発音もどんどん良くなるんです。
つまり、本当にうまくなる。
理由は、土台が安定することで、自分の頭に流れている音程や、思い描いていた発音、表現のイメージが、身体から素直に出てくるようになるからです。
目的は「表現する」こと。「正しく歌う」ことが目的になると、表現も声も苦しくなる
高い声や、音程や歌詞を間違えないようにするのに必死で、自分の表現どころではない…その気持ちは痛いほどわかります。
しかしそれは厳しい言い方ですが、逆に言えば、
いつの間にか、自分の表現ができないことを、「正しく歌おうとすること」でごまかしてはいないか?とも見えてしまいます。
もちろん本人は誤魔化すつもりなんてないでしょう。
しかし、多くの人は、物心がついた頃から、「間違えないこと」「普通であること」こそ正義だと思ってしまうようになり、結果として自分の表現を犠牲にしてしまいがちです。
でも、音楽に合わせるために、自分の表現を犠牲にしてしまったら本末転倒です。
自分の表現を音楽に従わせて消してしまうのではなく、
そのうえで、もちろん、最終的には音程もリズムも言葉も、音楽と合っていけば、なお良いでしょう。それこそが、
自分の表現と、音楽を融合させるということだと思うのです。
私は、みなさんにそこを目指して欲しいのです。
その方法をちゃんと用意して、いつでもお待ちしています。
目的は自分の体や精神、全部を使って表現すること。
歌やセリフはその手段なのです。
何万回歌っても失わない「初めて感」
自分という楽器があり、その楽器から自然な演奏が生まれ、そこへ音楽が重なっていく。
そこから、何万回歌っても色褪せない「初めて感」や、「話すように歌う表現」が生まれます。
歌詞を「正しく再現する」のではなく、まるで今その言葉が初めて自分の中に生まれたかのように。
自分を崩して音程を「取りにいく」「迎えに行く」のではなく、表現という土台の上に自然に乗ってくるのを待つのです。
声は出すものではなく、出るもの
だから、高い声も出そうとすれば苦しく、楽器と呼吸という土台を用意して、出るのを待つのです。そうすれば、体は心地よく疲れますが、喉は楽になっていくのです。
声は、出すものではなく、自然に体の中から出てくるものなんです。
本来、自然界の動物はみんなそうなんです。
そのために、まず「体を楽器化する」。
そして、その楽器、つまりあなた自身を生かすのです。
自分という楽器を守る。
その楽器から表現を生み出す。
そして、その表現と音楽を融合させる。
すべては、それからです。
楽器化・自然に始まる腹式呼吸動画、近日公開予定です。
関連記事・動画
「体を楽器化する」とはどういうことなのかについては、こちらの記事でも詳しく書いています。



また、「吸う」「入る」「踏ん張る」「押し出す」から声になるまでの流れについて、現在動画でも制作しています。
先に公開した50秒のショート動画では、その一部をご紹介しています。
【50秒ボイトレ動画】
体を楽器化すると、腹式呼吸は自然に始まる吸う」+「入る」=体が楽器化する
さらに「踏ん張る」「押し出す」→やっと声になる。腹式呼吸を先に「意識してやる」のではなく、 体の感動状態をキープしようとしたとき、「無意識に始まる」…これが表現の腹式呼吸の正体。… pic.twitter.com/J26YOTXhVP
— ボイストレーナー浜渦弘志 (@h_hamauzu) September 6, 2026
