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歌はスポーツ!「バランスとタイミングのいらないスポーツはない」

バランスをとりながら歩く男の子と女の子 上達のアドバイス

ボイストレーナーの浜渦です。今日はスポーツと発声・歌唱の関係と、両者に共通する、バランスとタイミングおよびその必要性について解説します。まず大前提として、歌は芸術ですが、スポーツの要素がとても大きいということ。決して文化系などというものではないのです。これを理解しておかないと、どんなに正しいとされる呼吸法や発声法を勉強しても、高い声が出なかったり、喉が痛くなったり、さらに、発声練習はうまくできても、それが歌やセリフという実践ではまるで役に立たない、というまさかの事態になりかねません。しかし、実際そういう方は非常に多いのです。それでは解説スタートでです。

バランスとタイミングが取れないと「打てない・歌えない」

たとえば野球の打者はバッターボックスで、バランスとタイミングを取ります。タイミングがとれないと、どんなに正しく理に適ったバッティングフォームを身につけても打てませんし、フォーム自体も崩れたり、下手をすると怪我をしかねません。発声も全く同じで、体と呼吸と声のバランスとタイミングが取れないと、正しい呼吸法や発声法も役に立たないのです。

バッターが打席に入った後、足を前後に動かし、スタンスを確かめ、そして膝も腕も柔らかく、軽く軽く動かしながら、呼吸も一緒にリズムよくタイミングを取っていきますね。そして「溜め」を作りつつ構えに入り、溜めた力を一気に解放して振り抜くわけです。歌においてもここまでは同じことなのです。さらに理解を深めましょう。

ジャストミート

バランスとタイミングを身につけないと従来のボイトレは役に立たたない

バランスとタイミングが必要なのは野球に限りません。どのスポーツでも、いきなり投げたり、ラケットを振ったりせず、呼吸と共にタイミングを取り、バランスを確かめ、その先のクライマックスまでのストーリーをイメージします。ボクシングでも卓球でも水泳でもそれは同じです。やがて力を溜め、やがて投げ、飛び、或いは蹴り、走ったりします。

これは発声・歌唱・セリフ・演技においても全く同じなのです。むしろそれを無くして、感動的な声や高い声というインパクトの瞬間は訪れません。

実生活で無意識にタイミングとバランスは取れている?

私たちは、実生活で本当に感動した時、バランスとタイミングを一発でとり、感動的な呼吸を生み出し、声に届けるという芸当を、やってのけますが、これはあくまで無意識にです。しかし、これも大人になるにつれ、周りの顔色を見て、出る杭になりたくないとする中で、だんだん下手になってくる人が多いのです。10円玉を落としたくらいで悲鳴をあげるような人がいますし、1万円落としても恥をかきたくないのか顔色一つ変えないひとも。歌唱や芝居表現の世界においては、一見迷惑な前者の方が正しいということになります。

例えば、平均台からよろけて転びそうになって踏ん張り「あ〜〜ぶねっ!!」などと驚きの声をだしたり、誰もわからなかった謎が解けたときにも、無意識にこの感動の呼吸や声の再現をやってのけます。そして周りの人は、声よりも、その一連の呼吸の流れに一緒に驚いたり感動するのです。
しかし、歌や芝居をはじめとした芸術表現は感動をあくまで意識的に再現することが最重要項目の一つであることを忘れてはいけません。意識して失敗するという「意識する」とは全く違うことなのです。

特に声楽の方は要注意!?

私はボイストレーナーとして、これまでにポップス・声楽・演歌・ジャズ、俳優・声優・ナレーション・朗読・一般の方まで、全てのジャンルの声を指導させていただいてきました。この中でも、一番バランスやタイミングそしてその先に連動する筋肉が必要なのが、基本的にはマイクをつかわない声楽です。しかし、なぜか、声楽の方にこのタイミングをとる運動神経のない方が多いのです。楽譜上のリズムは読めても、タイミングが取れないと、呼吸法や発声法をどんなに研究し、練習しても、歌という実践に役立たないのは、他のスポーツでも同じです。

では声楽の方が特別に運動ができないかといえば、そんなことはないでしょう。しかし、どこかでスポーツでもあることを忘れ、学問的に楽譜を正しく歌うことや、正しい発声法や呼吸法という、タイミングやバランスを取った後のことばかりを考えて、最初の第一歩を見誤っている方が非常に多いわけです。もちろん呼吸を吸うタイミングなども真面目に考えるわけですが、それは無駄です…。なぜなら、タイミングやバランスをとる中で、呼吸は動き出すのですから。つまり正しい呼吸法ありきでは、できないのです。ここが落とし穴です。

また考えすぎて、学問的に気持ちを込めるというような方もいらっしゃいます。これでは無理が生じるのも不思議ではありません。しかし、後述しますが、この辺りは声楽を教える音楽大学や芸術大学では教えられす、自分で学ぶ以外ないのが現状なのです。

「歌唱力」と「考えるな、感じろ」の関係および危険性

Don’t Think. Feel!「考えるな、感じろ」

ブルース・リーの有名な言葉ですね。

感動的な声や高い声、伝わる声を生み出すためのバランスやタイミング、それを取るための筋肉のしなやかな使い方という、呼吸法や発声法以前の基礎の基礎ができていることで、自然に呼吸が動き出し、感動的で無理のない声に繋がっていくわけですが、この自然な流れにこそ、本来の表現力・歌唱力、豊かな音色というものが宿ります。この流れを感じろというわけです。

歌唱力の落とし穴と自然のルール…たとえ「いい声で高い声も大きな声も出て、音程も機械的にはビシッと合っていて、呼吸法も発声法も出てきいて、発音も、リズムも良く」ても歌が下手なひとはたくさんいます。これは大抵、自然な流れに乗っていないことに大きな原因があります。例えば、自然な流れに乗って出た声は、一旦潜った水面下からふわっと浮き上がったような、それでいて「しゃくったのではない音色」になるようにできています。これは人がきめたのではない、自然のルールです。これは知るしかありません。

さて、考えすぎると、この自然な流れが、スムーズに、また順番通りにいかず、バランスも取れていないのに、バッターボックスに入るやいなやバットを振るが如く声をだしたり、先に歌詞の心配をして、喉を硬くしてしまうわけです。また、発声のことを考えて呼吸をちゃんと息をはけなかったり、それ以前に呼吸法のことを考えて、うまく吸えなかったり、さらにうまく吸うことを考えて、不自然になったり、という具合にです。これではきちんと考えることも、感じることも不可能です。

基礎の基礎、スタート地点(自然に感動した時の呼吸を吸う方法を知り、実践できること)ができていることで初めて感じることができるわけです。しかし、その基礎の基礎ができていないのに(そんんなものがあるという存在を知らない人も多い)、感じることだけをしようとしてしまうとどうなるでしょう。

どんなに感じようと努力しても、呼吸法・発声法以前のバランスという基礎を知り、身につけなければ、破綻してしまいます。つまり、いつまでも高い声が出なかったり、のどを傷めてしまったりするわけです。これでは「練習が嘘をつく」になってしまいます。そこではやはり考えることが必要なのです。これもどのスポーツでも同じでしょう。時には「感じるな、感じるために考えろ!」も必要なのです。感じるままなだけでは歌も芝居も破綻してしまいます。

HIRO
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この一連の流れを、考え・感じて、はじめてブレスコントロール、ブレスワークを実践していると言えるでしょう。

実はこの感動を生み出すための体と呼吸と声のバランスやタイミングの取り方や、どんな順番で、そのバランスが、感動的な声に繋がるかは、従来の声楽レッスンやボイストレーニングレッスンでは具体的には教えられてこなかったのです。

これまでの声楽やボイトレではバランスやタイミングは才能に委ねられてきた

声は見えません。そして、他のスポーツのよりも、体の動きは小さいわけです(もちろん演技として大きく見せることはあります)。例えば、野球ならバットを振って当てる…そのタイミングや振り方がどのような結果がどうかも、目に見えて明確になりますが、歌唱やセリフという声は、この部分を教えるのが非常に困難だったのです。また他のスポーツと違い、インパクトの瞬間が長いとも言えます。例えば野球漫画のように、バットとボールが当たった瞬間のまま何コマも、時には数ページ、バットとボールをが押し合いへし合いしたまま…

打者「〇〇投手破れたり〜〜〜」
投手「そ、そんなバカな〜!」
(ここでバットにひびが入り出す)
打者「な、ナニィ〜!?」
(バットが粉々に砕けてボールはミットに収まり…)
審判「ストライクバッターアウト!ゲームセット!」

大げさに言えば、こんなありえないようなこと「瞬間の永遠性」とでもいうものを再現するのが歌や芝居なのです。歌なら、物語が4分ほどはクライマックスのまま途切れない。つまりバットとボールが4分間離れずに押し合うわけです。さらにその中に高い声、低い声、というクライマックスの中のクライマックスや、難しい歌詞、リズムというせめぎ合いをいっぱい載せて…。

具体的には、バランスをとりつつの、横隔膜と丹田の間での呼吸の引っ張りあい、せめぎ合いとなりますが、これも頭で考えるだけではできません。感じるだけでもできません。

しかし、それもこれも、最初のタイミングとバランスが取れた後の話なのに、もう、物語どころか、最初から高い声をどうしようとか、歌詞を間違えないようにとか、バットを当てに行っているだけなのにホームランを打とうするような高い声を出そうとしたりする人が実に多いのです。繰り返しますが、この部分は呼吸法があっていようが、関係ないのです。力は必要ですが、それだけではホームランは打てないように、正しい発声法があっても、高い声は打てないのです。

それは、私たちが歌ったり話したりする目的は、高い声や意味を伝えるという結果ではなく、感動をや気持ちを伝えることこそが目的であることを忘れるとこんなことになってしまいます。そしてそれは、プロセスより、結果を重視する我々日本人には苦手なことだと言わざるを得ません。

しかしこれは自分責めるようなことではありません。むしろ責任感や失敗できない強迫観念からこのような失敗を犯してしまう人がほとんどです。ただ、表現の世界ではごまかしは効きませんし、たとえ誤魔化せても、早晩バレてしまうことでしょう。

結果として、基礎の基礎の部分でありながら「気持ちが足りない!」「見て盗め」「練習が足りない!」の部分になってしまってきたのです。また割と苦労なく歌えてきた人は、このバランス(とりわけ重心のコントロール)を取るのがうまい一方、なぜ自分ができているのかはわからないために説明できない人が多いのが実際です。

この肝心要の部分に切り込んだボイトレはこれまで私の知る限りではありませんでした。その結果、合う先生とか合わない生徒とかという、馬鹿馬鹿しい話にすり替わっていたのです。

HIRO
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誰もが才能に関係なく感動表現を実現するために浜渦ボイトレメソッドは生まれました。

私たちボイストレーナーや声楽の教師は「練習が足りないから上達しない」のではなく「上達するきっかけがないから練習のしようがない」「上達しないから練習してくれない」という可能性を常に考えなければなりません。精神論に逃げてはいけないのです。

歌の世界で大切なのは「端折らず」「堂々と遅刻」すること!?

遅刻したらどうしよう!と、朝ごはんも食べずに走って出かける…そんな人生を端折るような楽譜に間に合わせるような歌を、感動はもはや宿らないでしょう。しっかり寝て、しっかりほぐして、しっかり食べて、しっかり着替えて、余裕を持って出かけて、遅刻する。まずは歌の世界だけでもそれを実践してみませんか?

「遅れたらどうする?」

HIRO
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遅れてから考えれば良いのです。遅れるということは、音楽が動き出し、新しいものが見つかるチャンスなのです。そのチャンスを、ただ間にあわせることで捨てるのはもったい無さすぎます♪

遅れるのが嫌だから、無意識にちゃんと息を吸うをやめてしまったり、高い声を出す準備をしているつもりで、怖がってなんの準備もできていないまま突入する…そんな闇雲な特攻精神は音楽ではご法度なのです。

 

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