ボイストレーナーの浜渦です。「歌が上手くなりたい」という方は大変多いかと思います。さらに「感動的な声を出したい」「相手の心に伝わる歌(話し方)を」「自信を持って声を出したい」という方も多いことでしょう。やはり、なんとなくカラオケの点数は上がっても、感動がなかったり、たとえ感動があってもそれが外に出せずに伝わらなければ、それは虚しいものになってしまいます。しかし上手く歌おうとすればするほど、空々しく、わざとらしい歌唱になってしまいがちなのも事実でしょう。
では一体、歌唱力とはなんのでしょうか。何が感動を生み出すのでしょうか。第一線で活躍されている本当に上手いと言われている人たちは、決して上手く歌おうとはしていません。もちろん、呼吸法や発声法など考えながら歌ってはいません。しかし、彼らは実際うまいし、ブレスコントロールもよく、喉も壊しません。では一体何をやっている結果、上手くて呼吸法も発声法も維持しているのでしょうか。普段どんな努力をしているのでしょうか。本項では、自由で自在、相手に伝わる表現と歌唱という「本当の意味」で上達したいと思っている方や、壁にぶつかっている方、もう何年も歌っているのに、習っているのに、一向に上手くならないという方へのアドバイスです。これまでのボイストレーニングとは全く違う、本質的視点で書きました。
これは声楽、ポップス、ロック、ジャズボーカル、声優・俳優、プレゼン・演説等、全ての声のジャンルにとどまらず、全ての表現にとって大切なことと自負しております。それでは解説スタートです。
感動表現は「重心コントロールの持続や緩急による緊張感」生まれる
「重心のコントロール???」もしかすると、これまで上手く歌おうと努力してきた方には、ピンとこないかもしれませんね。しかし、この重心コントロールによって生まれる緊張感こそが、お客さんに伝わる感動の大きな要素を占め、さらには、私たちは普段の生活の中で自然に驚いたり、感動したときには、以外にも無意識にこのコントロールをできたりするのです。ほとんどの生徒さんがこれを知り、本当の上達の意味を理解し、歌唱が自由になっていきます。そして「価値観が変わった」と言ってくださいます。難しい話ではありませんので「表現者には絶対必要な知識」として、ぜひ備えておいて頂きたいと思います。
さて、重心のバランスを取る。これはどのスポーツでも同じですね。まず当たり前のこととして認識していただきたいのが、歌は芸術でもありますが、スポーツでもあるということです。決して文化系にとどまるようなものではないのです。具体的に重心のバランスを取るとはどういうことでしょうか。さらに、それが呼吸法や発声法とどのような関係があるのでしょうか。実は、呼吸法や発声法というのはそんなに難しいものではないのです。難しいのはそれらを活かす方法です。それが重心のコントロールなのです。
歌は「綱渡り」…耐えて渡りきった人に音楽の神様は微笑む
この話を生徒さんにすると、はじめピンと来ない方もいらっしゃいますが、実践してみるとみなさんが「確かにそうだ」と納得してくださいます。もちろん、高い声や綺麗な声にも感動しますが、それは『バランスのとれた緊張感という美しさ』あってこそ。逆に言えば、そのバランスと緊張感を持って渡りきった、歌いきった人にだけ、本物の、意味のある、誰の真似でもない高い声や、自分にしかできない、音楽の自由な動きや感動の表現があたえられるのです。
感動・納得・共有のルール。重心のコントロールが呼吸をコントロールし、音楽を「動かす」
さて、繰り返しますが、綱渡りや平均台のような、重心のコントロールは、歌をはじめ、全てのスポーツや表現(書道や絵画にも、もちろん演劇も)に必要です。
歌はスポーツでもあることを忘れずに♪
歌をその平均台に例えると、下半身の力が抜けて、重心が上がってしまっても落ちますが、力が入りすぎて、下がりすぎてもまた落っこちてしまいます。それを踏ん張りきってコントロールできた時「上手く歌おう」とか「何か音色をいじらなきゃ」と思わなくても『音楽の方で勝手に、自動的に』良い音程や、音色、なにより音楽の動きを作ってくれることに気づきます。それは重心のコントロールがブレスコントロールのもっとも大切な要素に他ならないからです。
人の感動表現は重心コントロールの持続や緩急による緊張感で表現することができます。そしてその心地よい緊張感を呼吸に載せ 、空間に出し、そこに声を載せ、多くの方へ伝える。これは、自然の、摂理ともいうべきルールなのです。
人は感動したときに、息を吸い、それを納得し自分のものにして(このとき重心が落ちる)、それを維持したまま(コントロール)、相手に伝えるのです(共有)。
なぜ舌根が上がったり、喉を閉めてしまうのか「レッスンで起こる悲劇」
重心が上がると、息が一気に抜けてしまい、スカスカの声になるか、息が抜けるのを無理やり我慢しようと、喉を蓋をするように閉めてしまいます。お分かりでしょうか。この時、多くの方が舌をあげて、蓋をするのです。これを喉が上がった状態ともいいます。
そして逆に、重心を下げようとして、カチカチになってしまった場合、息は抜けるどころかまるで出ず、息を詰めすぎた状態になります。こうなると「力を抜け」と言われます。そして力を抜いたら、重心を失い、一気に息が出て、とこのループを繰り返すのです。
その結果…レッスンでは「力を抜け」「力を入れろ」と同じ先生から言われてしまい、生徒さんは「いったいどっちなんだ!?」とパニックになったりします。
重心を下げる力は凧揚げの凧糸をしっかり持つ力のようなものです。一方、息を吐く力は、高く上がる凧そのものです。どんなに風が強くても凧糸を手放すと、凧はもう制御できません。しかし、喉や舌を蓋をせずに、多少コントロールできれば多少の高い声は出ます。しかしそこに感動あはりません。これは昨今のボイストレーニングの大きな問題点でもあります。もちろん、しっかり凧糸を握っていても、凧が上がらなければ、気持ちを込めて入るが相手には伝わらない独りよがりな歌になってしまいます。
これが凧と凧糸を繋いでいるもの考えるとそれは細く長い方が良いことがわかります。簡単に言いますと、トランペットの管を思い浮かべてください。あの細さを見ると閉じているとも言えますし、でも中に空洞があることを考えると、開いているとも言えます。実に単純なことなのですが、喉の内部もい息も声も見えないためか、レッスンの最初期からここで勘違いが起こり、そのあと何十年も引きずるという事実がたくさんあるのです…
凧糸を手から放してしまっているのに「俺の凧はあんなに高くあがってんだぞ!」と喜んでいたら…ただ笑い話です。
感動のない高い声はまさにこの状態。ちょっとばかり共鳴やミックスボイス的なものを覚えると、何をどう制御するかという基礎がなくても高い声はでます。教えてはいけないことなんです。— ボイストレーナー浜渦弘志 (@h_hamauzu) July 4, 2020
呼吸法や発声法自体は難しくない!?
なかなか信じていただけないことですが、実は呼吸法や発声法自体はそんなに難しいものではないのです。「じゃあなんで上手くならないんだ!?」そう思う方もいらっしゃるでしょう。それは…
呼吸法や発声法が自転車の乗り方ならば、それはそこまで難しくありません。しかし、平均台の上で自転車に乗るとしたら…途端に比べ物にならないくらいに難しくなります。それが舞台・本番で生きる呼吸・発声法なのです。
極限の重心のコントロールの中で使えてこそ、本物の呼吸・発声法と言えます。そして、当然、そんな重心のコントロールができれば、つまり、感動を生み出すプロセスとそのための重心コントロールとは何かを知り、実践することで、呼吸法や発声法は本来考えなくても身につくのです。これが浜渦メソッドがこれまでの声楽レッスンやボイストレーニングと大きく異なる点なのです。
重心位置は修正し続けることで歌は本当に上手くなる
私は、レッスンでは、この重心のコントロールとブレスコントロールの二点を中心にお伝えしています。なぜなら、それさえできれば、あとのことは簡単だからです。つまりこれこそ基礎なのです。レッスンでは重心コントロールからブレスコントロールを導くメソッドと、ブレスコントロールからどんな重心のコントロールが必要かを探る双方向のアプローチをします。
音程・音量・音色・発音によって常に変化に晒される重心位置
さて、やっと平均台の上で耐える重心のコントロールができるようになったとします。しかし、そこで安穏としてはいられません。なぜなら、そこで歩かねば、つまり表現をしなければなりませんし、重心の位置は常に、外的要因によっても変化するからです。それが、音程や音色・音量・発音などの変化によるものです。変化のない歌や表現なのどありえないでしょう。
綱渡りで言えば、だれかがロープを揺らしたり、あらゆる方向からあらゆる勢いの風が吹くのを重心をコントロールすることで落ちないように踏ん張るようなものでしょう。
このように表現とは常に逆算が必要なのです。高い声と結果だけに憧れ、捉われるいるうちは、輝く、感動的な高音を得るのは不可能なのです。
正しい呼吸法と発声法に潜むワナ
前項で変化のない歌ははないと書きました。子音の変化一つでもコントロールしなければなりません。ここで真面目な人はまた注意が必要です。かなりの割合で、真面目な人ほど、どんな時でも正しい呼吸法と発声法に努めますが、それが常に同じ力の使い方であったり、その順番やタイミングがバラバラであったりするのです。こうなると、いくら正しくても実践では役に立たないという本末転倒なことが起こってしまうのです。
また今回は紙面構成上書いていませんが、一般的に言われている腹式呼吸と、感動を再現するための呼吸の体の動きはかなり違い、ここにも大きな落とし穴があります。これはレッスンでは動き詳細にチェックします。これは改めて機会を設けてご説明したいと思います。
軽い呼吸との綱引き「お相撲さんが歌がうまい理由」(2020.7.30追記)
- 目が思わず驚いたように見開くような奥行きのある呼吸(吸気)
- 膝がガクガクになるほどの低重心
- 背中から尾てい骨までが垂直に伸ばして支える体幹の力、反り腰厳禁(踏ん張る力が足りないと腰を痛めます)
- 上の三つを全部守りながら、めちゃくちゃ重いものをもちあげるような背筋の強さとしなやかさ(背筋が足りないと首を痛めてしまいかねません)
これが演劇のみならず、全ての表現の基礎となる、目に見えない重いものを持つ演技です。だからお相撲さんに歌がうまい人が多いのですね。別名「腰を入れる」です。言うほど簡単ではありませんが、この能力は演劇や歌はもちろん、ピアノ等の楽器、絵画や書道でも必要となるので、ぜひ身につけましょう。
本当に上手い人が「やっていること」とお客さんが感動する理由
つまり、音楽を動かそうとしているのではなく、体の緊張感、重心をコントロールした結果、音楽が動くのです。これを上手く使うと、次の音が一気に1オクターブ上がっても『そんなに高くなったように聞こえさせないけれど、高音特有の緊張感だけは出す』とか、逆に『半音しか上がっていないのにものすごく距離感を感じさせる』ことも可能なのです。
シャウトやしゃくりやフォールなども本来重心のコントロールで生まれたテクニックです。
上手い人の真似をするときの注意点
上手い人の真似をすることはとても大切な練習の一つです。しかし、重心のコントロールをや逆算やそのタイミングを真似ずに、声の質やスタイルだけ真似てしまうと、もし多少カラオケの点数は上がったとしても、それはわざと動かしたのであり、自然に動いたものではなくなります。こうなると、たとえ上手く聞こえても、自然ではなく、感動はなく、つまりそれは「上手いけれど歌唱力はない」ということになります。
上手い人の努力はただ練習するだけではない
上手い人は、よく練習する方もいます。しかし、中にはあまり練習しなくなったのに、歌唱力は衰えないような人もいます。そんな人は才能があるから練習が少なくても歌唱力があるのでしょうか。
そうではありません。重心のコントロールを覚えたあとは、それをいかに失わないかの努力が待っています。たった1日で、ときには次の瞬間忘れてしまうようなものです。ですから彼らは、1日かけて、それを生活の中で維持しようとします。歩く時も食べる時も、常にそれが表現のためのバランスが維持できているか。またそれを維持するだけでなく、加速するために、また年齢に勝つために、体を鍛えたりします。それも闇雲にではありません。あくまでバランス維持をと、より良いバランスを目指してです。ただ単に走ったり、腹筋運動をするような方はまずいないでしょう。
練習時間だけ練習していては人生は短すぎます。しかし、そんなに練習時間が取れなくても、生活の中に意識があれば、生活そのものが歌を上手くしてくれるのです。
まとめ「歌唱力の正体」とまず皆さんにしてほしいこと
おわかりでしょうか。この重心コントロールによる呼吸のコントロール、呼吸のコントロールによる声のコントロールこそが歌唱力の最大の要素と言えるでしょう。(他にも要素はありますが、これにかなうものはないでしょう。)
本当に歌を楽しんでいる人は「上手い歌を」を歌おうとしていない
つまり本当に歌を、高い声も低い声も、あらゆる音色も楽しめる人は、重心のバランスとコントロールを楽しんでいるのです。その結果、周りからうまいと言われたり、呼吸法や発声法が「ついでに」できあがっていくのです。決して上手く歌おうなどとは思っていないのです。
まずは下手でもいいから、落ちるな。生きて帰ろう…
しかし、そのことに気づかなければ、一生、上手い人が決してしない「上手く歌おうとする」行為をから離れられないでしょう。そして本来、重心コントロールの中で、副産物的に出来上がる、呼吸法や発声法に捉われ続けてしまうでしょう。さらに、無理やり高い声を出そうとして、重心を捨ててしまうかも知れません。高い声や大きな声は、じつは、重心を捨てた時、その瞬間だけ、すこしだけ出せたりします。ただし、その声はコントロール失い、音色を壊し、響かず、大きな声のつもりでも届かず、囁くと聞こえないといったものです。すなわちそれは、ロープから落ちたようなものです。落ちたら死です。死んだら次の音はどうしますか?音楽は最後まで渡りきることなのに…
そんな命と引き換えに何かを守とか、何かを手に入れるなど、ありえないのです。それはロマンでもなんでもなく、臆病者のすることです。それでたとえ高い声が出ても、それは断末魔にすぎません。
そんな上手い人と同じ努力をしてては、、、という方は、残念ながら真面目ではあっても、それが足かせとなるでしょう。上手い人のシステムを、自然に表現できている人のシステムを手に入れることです。そうすれば、自分は本当はこんな表現がしたかっただというものも見つかります。
その世界へぜひ。