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どっちが幸せ?鼻歌でも上手く歌えてしまう人vs.頑張っても声すらなかなか出ない人

上達のアドバイス

本物の表現とは何か(自然表現のルール)

本物の表現とは、単に一生懸命とか、気持ちを込めるというものではありません。簡単に言えば以下のような感じです。あくまで浜渦ボイトレメソッドの考え方ですが、大きくズレてはいないと思います!

  1. 体を楽器として開いて体をパーツ分けして
  2. あらゆるパーツをバランスよく接続し
  3. 重心をコントロールすることで順序よく体のパーツを使い
  4. その結果、息を吐く力と止める力、胸を開く力と閉じる力、重心を下げる力と持ち上げる力をより高いレベルで葛藤させ
  5. やっと溢れる呼吸で歌うこと・話すこと

…言うのは簡単ですが、まずこのような自然表現のルールがあることを、知らない場合が多いのです。このルールは誰が決めたわけでも、もちろん私が決めたわけでもありません。特に3~5は、人が自然に驚いたり、感動した時に起こる自然な反応です。

しかし、1と2ができていなければ、つまり体を表現者のものにできていなければ(体の楽器化)3~5はどんなに正しい方法を習っても、豊かな表情をつけようとしても、それは不自然なものになってしまいます。

自然表現のルールとは、感情が沸き立った時に自然に体の中に起こることを、浜渦が体系的に表したものです。1〜5全て淀みなく繋がって、さらに膨らませ、カスタマイズして初めて本物の表現と言えるでしょう。

さらっと歌える人は、知らないのに、なんとなくこれらが自然にできている。一方、なかなか声が鳴らない人や音域で苦労する人などは、このルールがバラバラになってしまっていることがほとんどです。

まずは体の楽器化

体をごく自然にしなやかに使って生きることは人の進化とともに難しくなっています。逆に自然界の野生動物たちは、そのほとんどが体の特徴を活かしきって生きています。そうでないと生きていけないからです。

私たち人間は便利になり、野生動物に比べればより安全で、死の危険に晒されることも少なくなる一方、体の機能が衰えたり、また強いストレスや、過去の経験から感情を出さないクセがついてしまっている人も多いのです。

体が楽器としてはバラバラになったり、本来パーツ分けして使うべき体の各部位が、重力に負けて落っこちたり、デスクワークで萎縮して固着している人が多いのです。この状態ではどんなに正しい発声法を学んでも形だけのものになってしまいます。

体の楽器化と自然表現のルールの実践は簡単ではありませんが、いちどでも心から驚いたり、感動したり、笑ったり、泣いたり、ワナワナと怒ったり、悩んだりしたことがある人なら誰でもできます。つまりできない人はほぼいません。楽器化の方法と表現のルールを知り、実践し、身に付けることは誰にでもできるのです。

こうして体を使い切って、体内に弾むボールのような肺の圧力を作り出し、強くてしなやかな呼吸で歌い、話すことを身に付けるのです(=人が本気で感動したり、興奮したりした時に自然に起こる呼吸と声の再現でもあります)。さらにこれらを考えなくてもできるくらいにして、考えることでもっと自由に大きく表現することを覚えていくのです。

ここまでしてやっと張り詰めたような緊張感や柔らかいけど伝わる強さなどが生まれるのです。これはあくまで本気・本物の表現であって、ただ単に上手いとか、滑舌が良いとか、綺麗な声というものとは別の次元の話で、持ち声の良さやカラオケの点数的な歌のうまさはあまり関係ありません。

苦労人は100点か0点の歌!?

さて、この本気の表現の呼吸を作ることによってやっと歌になる人も、もちろんこんな大変な、興奮の呼吸をしなくても、歌おうと思えば、ただ歌うことはできるかもしれません…しかし歌えても、惨憺(さんたん)たる結果が待っています。つまり、適当な息では、苦しく恥ずかしいような、いたたまれない歌になってしまうのです。もっと言えば聞いているお客さんに「かわいそう」と思われたり…もう…消えてしまいたくなりますよね。

(私もそんな経験を嫌という程してきました。だから誰でも才能に関係なく、自然で自由な歌や演技ができる方法の研究に邁進したのです…)

さらにこういう人の声質は、声帯の大きさが災いして、普段は重かったり暗かったり、それが性格に影響したり、こけおどしのような立派な声は出ても音域、とりわけ高い声はさっぱりという人が多い…悪いことずくめにも思えますよね。

しかしこういう方は、体を楽器化して軽い声を作ってしまえば、そのあとはスケールの大きな軽さ・明るさ・深さ・スケール感を兼ね備えた、自由自在な表現が待っているのです。遠回りはしますが、頭脳・感覚・体を総動員しなければならないことが功を奏し、眠っていた大器晩成型の声帯が動き出すのです!

「全力の体の使い方から生まれる素晴らしすぎるくらいの息でやっとこさ声がまともに鳴る」というその苦労を乗り越えた瞬間、音楽の神様に振り向いてもらえるような歌が待っているのです。つまり、ある瞬間までは0点、でもそこを超えると100点!それくらいの表現の差(単純な歌のうまさではなく大きく感動を生み、伝えると言う意味での歌唱力)ができるわけです。

ぜひそこまでたどり着きましょう!そのために私…ボイストレーナーやってます♪

声質は体の楽器化と呼吸表現で変わります。人が変わったような声や呼吸や表現の動き、演技力は、その人の人生にも大きく関わってきます。そう言う意味ではトレーナーや音楽教師の責任は重大なのです。

100点か0点タイプは多いが指導できる人は少ない

実はこういう極端なタイプの方は非常に多いのです。多いけれど、この大器晩成タイプを教えられる先生はなかなかいません。それはなぜでしょう。

なにせ、正しい方法をやったくらいではできないわけですから、正しい方法を教えても、叱咤激励しても、良い見本を見せても、ほとんど効果がありません。

そういう生徒さんの苦労を理解し、何をどこから、どの程度、どのように身につけていくか、性格も考えながら指導のアプローチを構築していく指導テクニックが必要なのです。教える本人が歌が上手いことや、論理を知っていることも大切ですが、それは教える時の補助にしかなりません。

特に今まで苦労してきた人には、何を・なぜ・どのようにを明確に提示し、目的は表現であり、声はその手段ではないことを、身を以て実践し納得していただくことが大切になります。そして「ほら今のが本当の腹式呼吸ですよ」「ほら!高い声出てたでしょう!」と、結果で導いていく必要があるのです。

「お前はここがダメだ」なんて言っても多くの生徒さんはそんなことはとっくにわかっているし、それがプレッシャーになります。そして真似のしようのない見本を見せられても惨めな気持ちになるだけです。

正しい方法だけを教えようとしても、「見て盗め」なんて言っても、当然生徒さんは伸びません。それでできる人はそもそも習いに来る必要はありませんよね。

生徒さんも藁をも掴む思いでこられるので、最初はなんとなく正しい方法というものや、ミックスボイスなど、本来自然表現が身につく過程で自然に身につくものなのに、その言葉の新鮮さに満足してしまウ場合も多いですし、高い声が出るようになる人もいるでしょう。しかし、それが表現と関係なくただ出ているだけの高音で、実戦には全く役に立たなかったりします。

結果的に生徒さんは、あせったり、先生に対して申し訳なくなり、自分の才能がないとか、自分は歌に向いていないと決めつけたり、さらにレッスンでは、自分の思いが声の載せられないために「お前は感情が足りない」「もっと気持ちを込めろ」などと言われて「もう歌なんか歌うものか!」と、嫌になってしまう人も非常に多いわけです。

そもそも歌や演技が好きな人、上手くなりたい人に、気持ちが足りない人はいないのです。多くの人は、気持ちを込めた時の体や呼吸の状態がどういうものか知らないため、心と体がつながらないまま、空回りしているだけです。

気持ちを込めようにも、思うように表現ができないし、さらに先生に責められたり、期待に応えようとして、焦ってしまい、気持ちと体はバラバラになり、気持ちもすっかり萎えてしまいます。ボイトレや声楽を習ったことがある人の中には、レッスン=地獄、「一刻も早く終わって欲しい時間」だった…という方もいらっしゃると思います。

しかし、先ほど申し上げた通り、体と呼吸と声が繋がった瞬間、さらっと歌える人が持っている、スタートラインの声を覚え、そこからは溜め込んでいた気持ちが一気に溢れ、大化け、ブレークするわけです。しかしそれまでが大変すぎるので、多くは諦める、またやっと掴んだ人は先生にならない…だから大器晩成型の人の気持ちに寄り添い育てあげられるボイストレーナーや声楽教師が少ないのだと思います。

本物の表現がもたらすもの

では体を使い切った、感動再現の本物の表現が何をもたらすかというと、音色の豊かさ幅、それによってもたらす距離感による相手への伝達の大きさなどでしょう。例えば音色は一般的には高くなるにつれ、明るくなりますが(良い意味ではなく、なんとなく子供っぽい明るさ)、体全体のパーツをタイミングよくを使うことで重心をコントロールできれば、音色が明→暗と進む間に、声の高さは低→高と進むこともできます。つまり高くなれば明るくなるはずの音色を押さえることで、軽薄な高い声ではなく、いみのある、重厚感のある高い声を出したり、音色の変化で相手には何かが落下しているような声に聞かせながら、音程は上がっていくとう、音色と音程を使った「幅」を聞かせられるようになるのです。(これは動画で説明したいと思います。)

さらに…

  • たとえば、ほんの少しの喜びを1万人に届ける
  • 絶望や虚無さえも表現として成立させられる
  • あえて棒歌いのように聞かせつつ、感情を溢れさせることができる(この逆は、抑揚をたくさんつけた感情の伝わらない歌やセリフ)

「強いが、優しく流れ、あらゆる声帯の使い方をも乗り越え、母音や子音の変化にによって左右されずに乗り越えていける呼吸で歌うこと」ができるわけです。

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