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自分の力で上手くなる方法を教えるのが本当のレッスン「歌や演技が上手くなる人とそうでない人の決定的な差」

持論・哲学

たまには好きなこと書きます。
たまには、じゃないか…でも書きます。
私のレッスンに対する思いと、なぜこのスタイルのレッスンに行き着いたのか。

言いたいことは…

呼吸を歌に合わせるな。
「自分の最高の呼吸」に乗ったとき、初めて表現は客観視でき、自分自身で成長できる。
「正しさ」に固執して、自分の表現を殺すのはもう終わりにしませんか?

なんですが、何せ好き勝手書いています。
乱暴な物言いがあればお許しください。

どんどん上手くなる人と、習っても上手くならない人

今日も発見、昨日も発見。毎日発見と学び。
いや、俺もうこれ以上、勉強も発見もしたくないという気持ちもあるの
…でも見つかっちゃうから仕方ないよね。

自慢じゃないけど、本当に自分の表現ができるという意味で上手くなる人と、ならない人(ただ発声を少し覚えたとか、上手く聞こえる歌い方を知ったも「ならない人」に含む)の決定的な差と、その正体を、これだけ、自分自身の体の中から見つけた人も、なかなかいないんじゃないかな?

それだけ、どんなジャンルのどんな声でも出せる、自分自身を知り尽くした良い時と、恐ろしいほど何もできない悪い時の差を身をもって知ってしまっただけだけど…

実はこの良い時と悪い時を行ったり来たりする人ってたまにはいるけど、たまにしかいない。

上手くなる人とならない人の決定的な差は「呼吸の客観性」

簡単に言えば、歌が本当の意味、つまり誤魔化しなしで(誤魔化しの意味は後述)で上手くなる人は、自分の最高の呼吸(=感動や驚きを表現するための呼吸)がどんなものかを知っている。

そして、その呼吸に合わせてというか、乗ってというか、もっと言えば、その呼吸についでに体が動き、そのついでに声を出し、そのついでに音程やリズムや抑揚や間が生まれ、歌い、話すことを知っているのです。

上手くなる人とならない人の決定的な差は「呼吸の客観性」

自分の呼吸に乗った人は客観的に歌える

なぜそれで上手くなるのか?自分の呼吸のリズムに乗って行動することで、そのついでに行われる、声や動きを客観的に見ることができるんですよ。

だから自分自身に「もっとこうしたらいいやん」と、アドバイスを出したり、自分で自分をカスタマイズできるわけです。

つまり興奮した歌の中にも自分が冷静に見える。
いや、この言い方はおかしいな。
興奮しながらも理にかなった呼吸のついでに歌う歌=興奮した歌だから。

もちろん、それができたとて、カラオケの点数的なうまさは出せない人もいる。
しかし、そういう人は、たとえ下手でも味があるとか、なんか変だけどとても伝わるとか…その人の呼吸やリズムや生きる姿が伝わるんです。

歌(正しさ)に呼吸を合わせる人は、声が見えなくなる

では、本当の意味で上手くならない人は?これはもう簡単。
歌に合わせて呼吸をしてるか、呼吸が感動を再現できていないか。できていても歌が感動の邪魔をしている。
この時点で自分の演技や歌を客観的に見ることは絶対できない。

ダメなことだけはわかるけど、どうしたらいいかはわからない。

歌(正しさ)に呼吸を合わせる人は、声が見えなくなるんです。

基本的に上手い人は一生上手い、下手な人は一生下手!?

これ、ほとんどの人は幼少期から一生変わらない。
真っ二つに分かれる。元からうまかったり、勝手にどんど上手くなる人と、
一生懸命やってるのに上手くならない人や誤魔化しの歌になる人に真っ二つに分かれる。

恐ろしいでしょ?
物心ついたあたりで、多くの人が、歌に合わせて、周りに合わせて呼吸し出す。
つまり自分より、正解を優先するようになってダメになる。

これを身をもって体験しましたよ。
そうすると、いい声に逃げたり、感情を込めたふりをしたり。
こうなると、どんな正しい呼吸法も、発声法もまるで役立たない。

なぜなら、自分の身体という「楽器」のスイッチがオフになったまま、形だけを整えようとしている。
形だけ整えて感動的な表現ができるなら、歌手や役者なんて職業は全滅ですよ。

歌に合わせて呼吸したり表情を後付けしてる真面目人間に、
どんなに正しい方法を教えても無駄なんですよ。

でも真面目人間ほど、ただひたすら、その役に立たない正解を求めようとしがちです。
でもね、そこをどうやって覆して、一見遠回りに見えても、自分自身で自分だけの正解に導けるようにするのが、本当の指導だって思っています。

もちろん、楽しく、やさしく、怒らずに、ですよ♪

机上の正しさに偏ってもダメですが、根性論や精神論に偏るのはもっての他ですからね。

上手いふりをするための技術はもうやめよう

それでたとえ発声法を覚えて、高い声がでても、そんなの表現でもなんでもない。
よく言えば、一生懸命やってます感は伝わる…しかし、厳しく言えば、それはただの誤魔化しなんです。

自分だけの呼吸とそのリズムに乗った表現がない。
こんなつまらない歌はないし、そのままでは声も苦しい、高い声も出ない。
出なくて当然です、それなら出ない方がマシなんです。

それをですね、なんとなくの技術でちょっと高い声が出たり、上手く聞こえるふうな歌を歌えるようになったとしたら、それを誤魔化しと言わずなんというのでしょう?
そして、表現のないことを技術で誤魔化したとしたら、それは一体なんのための技術なのか?

いつまでそんなことやってんだって話ですよね。
でも、この業界に限らず、表現はそこかしこでそんなことが行われてきました。

自分の表現を無視した技術が今度は自分の本当の成長を妨げるのです。
絵や書道でも、自分のなんとなく上手く、綺麗にかけてしまう技術が、本当に描きたいものを封じ込めてしまうようなものです。

私は、上手くなる方法ではなく、生徒さんが勝手に上手くなる方法を教える

だから私は上手くなる方法ではなく、自分自身で上手くなれる本質的な構造や手順を教えてるわけです。
でも、本当はその人が表現者になれる状態かどうかなんて無視して、ただ正しい発声とか、感情や発音だの教える方が100倍楽なんですよ。

なのに、しんどい方やってるなんて、我ながら変なやつ、頑固なやつだと思います。
自分で上手くなれる方法を伝えられる人って、ほとんどいませんよ。

実際は、ミックスボイスだとか、裏声が地声が、ビブラートが、シャクリが、ウイスパーボイスがって、
なんちゃって技術を教えた方がウケる…でもそんなのおまけなんです。
俺はなんちゃってでボイストレーナーやってんじゃねえぞ。

そしてそのおまけのなんちゃって技術が個性と表現を殺す。
おい、この業界なにやってんだと。
だから私は、なんちゃっての技術を教えるのを封印したんですよ。

この世の中を自分の表現で、互いに共有し合える人間を一人でも増やしたくてやってるんだよ…と。

でも、実際、多くの皆さんは、正しさ以前のことで、みなさん困ってるわけなんですよ。
だから、そんな人に、正しさや、ココロのスキマを狙った、ナントカボイスで君も歌うまに!なんて言ってもだめなんですよ。

でもね、自分の呼吸に乗ることを伝えるのは大変だけど、伝えられた瞬間、
「おい!どうしたんだキミ!!?」っていうくらい、一瞬で変身するんです。
生徒さんが。本人もびっくりするくらい。

これがやめられないんですよ。

まとめ「正しさ」に殺されるな

…身もふたもない話ですが、うまいやつは最初っからうまいか、自分で上手くなる力があっただけで、正しいことを教わるかどうかなんて、実はあんまり関係ないんです。

こういう生徒さん教えるの楽ですよ。
でも声楽家先生や、芸大がこういう素質をつぶしにかかっているシーンもいやというほど見ましたよ。

でもですよ。最初から上手い人と、努力しても上手くならない人に別れてるなんて、絶対いやなんですよ。
だから、ボイストレーナーやってるんです。
鼻を響かせろ?気持ちをこめろ?お腹に力入れて?腹式呼吸で?息をまぜろ?

そんなこたあ、みんなわかってるんですよ。
それをいつ、どうやって、どんなタイミングで、どんなバランスで、どんな順序でやるかがわからんから、
正しいこと習ってもできないんです。

私はもう、しんどいことしたくないのよね。
でもやるんよ。過去の自分を清算するために。

そして同じような苦労をして、正しさに表現を殺されてる、多くの人の見てきたから、やめられん。
ただそれだけです。

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