今回の記事のポイント
- ミックスボイスビジネスへの警鐘
- 本当に歌唱力のある人やプロ歌手は気にもとめない「ミックスボイス」とはなにか?
- 本当はどうすれば身につくのか
- YouTubeで出回るミックスボイス講座に意味があるのか。
これらの問題点を、ボイストレーナーの立場からあえて警鐘を鳴らしつつ解説します。
さて、今回この記事を書くに当たり、以下のようなメッセージを頂きました。
…確かに「簡単にできるミックスボイス」「ミックスボイスのやり方」「ミックス簿言うsの出し方」などという記事や動画がたくさんあります。
しかし実際は、コメントいただいた通りだと思います。 なぜなら本来ミックスボイスは基礎ができたおまけで付いてくるものであり、そしてその基礎を身につけること、教えることはは大変なことなのです。果たして教えている側が基礎を知っているのか…などと書いて、多くのボイストレーナーを敵に回しそうですが、ここはきちんと書いていきます。もちろん、私も15年以上前になりますが、このミックスボイスという言葉に飛びついた一人です。ですから、自身の反省も込めて書きます。
まずミックスボイスという言葉を多用しているのは、ボイストレーナーと、その周りにいる人たちだけです。それがいまや一般的になりつつあります。本当に上手い人や、第一線にいる人はミックスボイスの存在など気にもかけていません。でも自然にできています。きちんとミックスで歌える人はが気にしているのはミックスボイスではなく、人として動物としてのバランスを崩さない表現(という基礎)です。
そしてその基礎ができればミックスは結果としてついてくるのです。しかし、多くの現場では基礎が無いのをミックスで誤魔化すような指導と解釈がなされています。
ミックスボイスがだめなわけではありません。問題はその解釈と、魔法の言葉のように扱われること、それをいいことに商売の道具になっていることが問題なのです。
なぜなら、そういう行為は、表現の本質を見失い、人に伝えるリアリティという感動より、ただなんとなくうまく歌えることが偉いというような本末転倒の結果を生み出すからです。それを業界の人間がやるのは悲しいのです。
発声の本当の入り口は「思わず出る声」ミックスとは普通の声!
発声の入り口はどのジャンルでも基本的には同じです。ミックスボイス?地声?裏声?いえいえ、違います。
さて、この基礎の時点では、発声法も共鳴も、何もなくて良いのです。ただ自然でリアリティ(初めてそう思ったように聞こえる自然さ)のある声であればいいのです。発声法やら共鳴やらは、その先の基本です。
つまり、人間としてバランスの取れた、普通の声を出せるかどうかが基礎であり、多くの人がこれをできないまま、ボイトレや歌の練習に取り組んで、壁に当たってしまったり、殻を破れないでいるのです。
そして今書かせていただきました普通の声、普通と言っても、自然でバランスの取れた基礎のできた普通の声は、大抵すでにミックスボイスになっているのです。
思わず出る声で話すように歌う【動画】
こちらの動画で、腹式呼吸や単なる発声練習以前の表現と声の基礎とは何かを解説しています。思わず出る声、音程を感じさせない自然な声とセリフや楽曲との融合を皆さんも目指してみてください。
ミックスボイスについて「勘違い」に注意!
ちなみに、この思わず出る話すような声こそ基礎と書きましたが、この基礎ができれば光は誰にでも見えてきます。そしてこの時点でミックスボイスはすでにできているはずです。
なぜなら、ミックスボイスとは、体のバランスが取れた状態の基礎の声、つまり普通の声のことだからです。それを「1分でできるミックスボイスのやり方」「裏声と地声をくっつける」とかやってしまうのは「あなたがそう思っているだけ」であったり「ナンチャッテ」でしかないのです。
さらに問題なのは、基礎ができないのはミックスボイスのせいみたいになったり、基礎がないのをミックスで誤魔化すようななんちゃってなものが蔓延しているのも事実です。
ボイトレという商売とは
この基礎を無視したミックスボイス的なものが蔓延しているのがいまのボイトレ業界の全く困ったところなのです。放っておけば良い?いえ、ここは業界に端くれにいる人間ではありますが、健全な批判として書かせていただきたく思います。
「お前だって商売でやってるんだろう」と言われればそうです。しかし私は、真っ当な対価を頂いているつもりです。生徒さんと表現のなんたるかを追求し、笑顔の中で、生きている証としての伝わる歌、セリフをともに学んでいます。そしてそれは非常に体のも頭脳も使います。するとお腹も減ります。ですから生徒の皆さんの貴重なお金を頂いているのです。
ミックスボイスが「魔法の言葉に聞こえる」危険
繰り返します。ミックスボイスは表現の基礎ができれば勝手に出る声のことです。その証拠に、本当に上手い人や、第一線で長く活躍している人は、ミックスボイスのことは考えていません。むしろ「なにそれ?」「なんか聞いたことある」程度です。じつは威勢のよい八百屋のおじさんの掛け声や、多くの相撲の力士の方も自然にミックスボイスになっていたりします。もちろん習ったわけではありません。人に伝えるための基礎、また体のバランス・重心のバランスを追求した結果なわけです。
しかし、高い声に苦しむ人、上手く歌えずに悩める人にとって「ミックスボイス!?それができればすべて解決すの!?」と思わされてしまう魔法の言葉に聞こえるのです。
何度も言いますが、逆です。基礎ができるからミックスはその過程で生まれるだけです。
ミックスボイスビジネス…なんとかしたいものです。
地声と裏声とミックス
「地声に裏声を混ぜる」などという言い方もナンセンスです。一対の声帯が厚く重なって振動するのが地声、薄く重なって振動するのが裏声、ちょうどその間の普通の厚さがミックスとかミドルボイスと言われているのです。
地声裏声のチェンジ(換声点)が上手く行かない人
「地声も出る、裏声も出る。でも上手く繋がらない」という方は
- 地声と裏声で喉の位置や開け方(空洞の形)を変えてしまっている
- 換声点で息が一瞬止まる、または一気に息が出る
といったことが多いわけですが、つまり基礎であるバランスが崩れるのが原因です。「思わず出る自然な声」という基礎を教えられる人は本当に少ないです。逆に基礎を知れば先生いらずになります。ですから、本当に上手い一線級の人は、習わなくなることが多いのです。
「基礎から教えます」と言いますが、それは「私は表現のなんたるかを知っている」という意味のはずですが、どうも基礎=表現と関係ないレガートやタッカート、基本的な発声練習のこととか、共鳴や腹式呼吸ができることと、多くの現場で勘違いされています。
ちなみにこの基礎は、音楽大学の声楽科へ行っても教わることは難しいでしょう。
まとめ「目的と手段」
今回はミックスボイスについて書きましたが、本末転倒になったり、目的を見失ってしまうような現象はそこかしこで起こります。表現とは既にあるものをなぞったり、誰かに対して劣等感を持ったり、優越感をもつものではありません。自分で自分の最高の歌を歌い、そして誰に褒められても褒められなくても、自分の中で「最高の表現ができる喜び」を目指すものだと思います。
その目標を見失って、正しい発音や正しい発声、腹式呼吸というその手段であるはずのものが目的化するのが、ちょっと日本の悪いところだと思います。「正しい発声と、発音、呼吸法を学んべば上手くなるはずだったのに」…どんどん下手になったり、習う前が一番生き生きと歌っていた人は音楽大学でもたくさんいます。
新しい閃きやまだ見ぬ発見より、誰かよりできる、まあまあ卒なくこなす、自分の溢れる表現で出る杭になるのはいやだから、言葉は丁寧にルールは守って心は冷える…それは窮屈な世の中で生きる手段にはなっても、長い目で見て自分や世の中、この国を良くすることにはならないと思うのです。
「ミックスという言葉がみんなを惑わせているのでは?」
「1分でできるミックスボイスとか、色んな人の喉を潰しかねないと思う」
「(浜渦)が『ミックスボイスなど基礎ができればついてくるものだから気にするな』という意味がわかった」