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【遠近法】空間を自分のものにすることで表現は劇的に変わる!「客観的感覚」が身につけば緊張も怖くない

遠近法・客観的な声の概念図 上達のアドバイス

ボイストレーナーの浜渦です。どんなに上手くなって、高い声が出ても、空間を感動で満たし、多くのお客さんや共演者とその感動を共有できなければ、それは空しいものでしょう。またプレゼンや学校の講師の方なども、もし教える内容が同じなら、講義室という空間をいかに支配し、聴衆を引き込むかが大切になるでしょう。

上手く歌うことや良い声をしていること、正しいことを伝えることと表現力(相手の心に届くこと、説得力や引き込む力)があることは別のことであることは、別のことですよね。最近はボイトレスクールや養成所が増え、上手い方は以前に比べると格段に増えましたが、上手くても高い声がでても、それだけでは伝わらないことに不満や疑問を持つ方も確実に増えています。実は高い声や腹式呼吸、上手くなるという事実は、体が感動を奏でる楽器となり、表現力が増す中で自然に、また自動的に身についていくのが本質だからです。しかし、その本質的な表現の希望に対応できるスクールはごく僅かなのが現状です。

自分も感動できて、それを多くの方と共有したい方。自分一人なら上手くできるのに、レッスンの時や、本番、お客さんが入ると緊張してめちゃくちゃになってしまう方や、自分では上手くできたつもりなのに、あとで録音を聞くと「自分の声じゃない!」と耳を塞ぎたくなる…そんな方へのアドバイスです。

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だから今はまだ高い声が苦手な方や自分が下手だと思う方は、劣等感を抱く必要はないのです!その偏差値的競争に巻き込まれる前でよかった!チャンスだと思ってください。それでは解説開始です。

常に実際のお客さんの数に+1人すること

常に実際のお客さんの数に一人をプラスすること。誰をプラス1するかと言いますと…それはあなた自身です。

心の琴線に触れるような声・歌唱・演技のためには、自分のうしろから、自分を含めて、空間全体を客観的に把握することが必要不可欠です。頭の中に思い浮かべた感情を闇雲に伝えようとしても、感動的な声にはなりませんし、演技も上手くなりません。そんな状態で楽譜通りの歌や、教科書の正解を読み上げても相手にはなかなか伝わりません。

大切なのは自分というフィルターを通すこと。自分の後ろから自分も含めて見渡す「客観的感覚」を養うことです。哲学的な言い方をすると、パースペクティブ(Perspective:遠近法)とでもいえるでしょうか。

客観的にものを見ると言うと、なんだか学問化してしまう人が多いのですが、客観的な声・他人事の声・自己主張の声というものがあるのです。

表現者に必要な「目の感覚」は後ろから自分を見る目

手書きで申し訳ありませんがこちらの図をご覧ください。一番右の「目」こそが、全ての表現者に必要な「目」の感覚です。私は「すべての人は表現者たるべき」と思っていますから、こういう全体を見渡す感覚は、全ての方に必要なものだと考えています。

つまり、実際の自分の目で前を見ているだけでは、世界の半分しか見えていないわけです。もちろん、人間にとって表現すべき空間は360度、全天球ですから、半分をすでに失っています。これは声の表現力や役者の演技力に如実に結果として出ます。ここに気づかないと一生懸命やっていても、ただの自己主張にしか聞こえなかったり(見えなかったり)、本番の緊張に押しつぶされてしまいます。

遠近法・客観的な声の概念図

何かを伝えるためには「自分というフィルター」を通すこと

自分というフィルターとは、演じるべきキャラクターや、喜怒哀楽などの感情などのことです。

図の①のように、後ろからフィルターを通さず、感情を自分から直接お客さんに発するのは、演じているとは言えず、相手の心にはなかなか伝わりません。一方的に一生懸命伝えようとして、お客さんが引いてしまうことはよくあることなのです。あくまで自分を後ろから見る目が必要です。

緊張すると「萎縮する人」「体が広がる人」

この全体を見る大きな目こそ「客観性」であり、私たち日本人には苦手なことではないかと思います。それは緊張する場面で如実に現れます。

萎縮してしまう人

大きな目で全体を見れないため、①で一方的に伝えたり、伝わっていないのを感じて、自分に引き返してきたり、行ったり来たりを繰り返す人、これこそ「萎縮する人」の代表格でしょう。

伝えねばならないという義務感から、自分を客観的に見れず、一方的になる、そして自滅するわけです。これは精神的な問題に留まらないのはご承知の通りです。体も一緒に固まってしまいます。

 

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萎縮する人は真面目で義務感の強い人に多い傾向にあるといえるでしょう。

伝わらなかったらどうしようと思うようになり、ますます萎縮してしまいます。

緊張した方が自分を発揮できる人

萎縮する人とは逆に、緊張を自分の味方につけられる人もいます。怖がって一旦②の方向に引いてから、前へ出ようとする人です。①と②の綱引きが起こり、むしろ体は開くのです。普段から大きく自分を表現する癖がついている欧米人の方がこれは得意なことかもしれません。①と②の遠近感(Perspective)こそ、表現に大切なものとなるのです。

緊張で押しつぶされそうになっても、後ろから「大きな目」で全体を見ることができれば、自分自身の存在さえ、「『緊張してるやつおるなあ』と思ったら、僕じゃないか!」と、客観的な目で見れるようになってきます。これを覚えると、緊張しなくなるのではなく、「緊張しても表現できる」ようになり、やがて萎縮もしなくなるのです。

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私の生徒さんの多くは、緊張しないのではなく、どんなに緊張してもなんとかなる方法を(私以上に)身につけてくれていますが、それはこの「大きな目」によるものです。

客観的な表現と発声ができれば声や演技は劇的に変わる

図の①と②を綱引きすることで声や演技は自然なバランスが取れたまま、そのスケール感を増していきます。そのスケールの大きさこそが、その人のキャンバスの大きさとなります。

私たち表現者のキャンバスは空間そのもの。実際歌ったり演技する場所よりも大きなキャンバスを感じることができれば、よりその感動は大きくなることでしょう。

では実際に客観的な声とは何か?①の自己主張の声って実際なんなのか?②の他人事のような声とはなんなのか?それはレッスンでお伝えしますし、実践していますが、次回の記事でなるべくわかりやすくお伝えします。

自分の声を客観的に聞けるようになる

大きな目で自分も客席も、つまり全体が観れるようになれば、良い声が出ても「誰?良い声出してるの!…って俺やん!」というように、自分の声を客観的な耳で聞けるようになります。

ここまでくれば、「録音あるある」の「別人の声」に聞こえなくなるのです。

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客観的に聞けるようになると、歌は劇的に上手くなります。上手く歌おうとしなくても、上手くなってしまうのです。それは自分が見えているからです。

これを覚えると、声と呼吸、ひとつひとつ演技にも、奥行きが出てきます。

①と②を足して同時に成立させるためには、物理的に体を前後左右上下引っ張り合いをしながら開く必要があります。その結果、自己主張と他人事が同居し、皆さんの歌や演技は、劇的に向上するのです。

まるで彫刻のように体が一つの楽器に生まれ変わっていくのです。

音域や音量等は、それらは本当の表現力が身につく中で、当然のおまけとして身につくものに過ぎないこともわかります。

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私が「音域や音量はそれ自体が目的であってはならない」というのは、それらは、もっと大きなものを手に入れる中でついてくる「おまけ」と捉えているからです。

真実は無限にある

「真実は一つ」とよく言われますが、表現の世界においては、それは間違いです。事実は一つかもしれませんが、見る角度によって見え方は変わります。それは自分の体を開いて広がった世界観を、自分というフィルターを通して見ることでよくわかるようになります。

例えばリンゴがテーブルの上にあります。こちらから見えれば、美味しそうなのに、向こうから見れば穴が空いて不味そうに見えるかもしれません。同じリンゴを見ていても見え方は変わります。

同じように、その人のフィルターと通すことで同じものでも捉え方は変わります。それを歌い手なら声を使った歌唱で表すわけです。だから表現は面白いのです。

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同じ歌でも、①の自己主張の声と②の他人事の声の同居と、自分というフィルターを通すことで、まるで違う歌になるわけです。

たとえ上手くてもつまらない歌を歌う人は、技術的なものや、声帯のコントロールはできていても、①と②の綱引きができていなかったり、どちらか一歩に偏ったり、フィルターを通すという作業ができていないことがほとんどだと思われます。

まとめと次回予告

ボイストレーニングは自分という人間のバランスを体全体を使って取り、その人の表現のスケール感そのものを大きくする、スポーツであり、自分を見つめる時間であり、自分を知る時間であり、自分というフィルターを通して世の中を見る時間でもあります。

今回は、空間把握の仕方を書きましたが、これを学問で終わらせては意味がありません。実際、体の開き方とシンクロさせ、呼吸と声でそれを証明する必要があります。それこそが練習です。次回以降にそのアドバイスも書きたいと思います。

バランスのとれた体の中で感性と呼吸と声帯が一体となって、自由な音楽、表現を生み出せるのです。それを本当の意味で上手くなったと言います。決して上手く歌うこと自体が目的ではないのです。声は今の自分の身体と精神のバランスの結果なのです。

さて、ひとつ気をつけていただきたいことがあります。ボイトレというのは、やはり文章だけでなかなか伝わるものではありません。本を読んで得られるのはヒントと知識(実は動画も同じ)です。

ボイトレ本や動画では、表面的(2D)なもの、それっぽいものは伝えることができます。しかし、心の琴線に触れるような感動は3Dの世界です。

文章や動画では、体の内部のバランスや、音圧、空気圧、空気感、つまり、空間という立体をボイトレ法として伝えることは困難なのです。ですから現場のレッスンを何より大切にしております。

生徒さんからも「友達に紹介したいけど、浜渦さんのレッスンの良さは言葉では表せないのでとりあえず一度受けてみてと言っておきました♪」とよく言われます(笑)

そういう私もYouTubeはやっていますが、以上のことからなかなか更新が進まないのです。

さて次回(以降)にこの続きとして、「では実際これを声として表現するためにはどうすれば良いのか」を書いてみたいと思います。

「客観的声で空間を自分のものにする!」

自己主張の声、他人事の声って一体なんだ?その解説と実践方法、そしてその綱引きの方法なども解説したいと思います。

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