「脱力しなさい」「脱力演奏法」「力を抜いて歌いなさい」全くもってその通り!と言いたいところですが、そうでもないのです。脱力には体幹の強さ、しなやかさなどの前提条件があるのです。猫もそうですよね。脱力した歩き方、でもそれは強さがあってこその脱力。その前提条件があれば、脱力など考えなくても勝手にできるのです。考えてやる脱力や、やたら脱力の話をする人にはちょっと注意が必要です。今回は某所に書いた記事を元にしていまして、ぞんんざいな文章が続きますがご容赦ください。
脱力と腑抜けの違い
ドリブルのようなリズム感
それは空気感、相手を乗せることのできるリズム感となって現れる。それはそうだ。リズムを作るという行為は、広く柔らかい空間(=キャンバス=体)の中での脱入力のくりかえしのことなのだから。例えればボールつきのようなもの。バスケットのドリブルなど、ボールを突くためには、プレイヤーのうまさも必要だが、前提として、ボールに空気が入っていること、ボール自体に柔軟性があることが求められる。この二つがあってはずむ。さらにボールが上下する空間も必要。これでやっとドリブルというリズムが生まれる。
これは人間でも全く同じなのだ。胸周りがボールのように空気が入り、弾力がある。しかも胸全体が中に浮くようになっていることで、バスケットボールのように弾むのだ。
これが常にずっと少し弾み続けている状態がエンジンがかかっている状態。アイドリングの状態だ。ボクサーだってパンチを打つ時避ける時以外もずっとリズムをとっている。卓球の選手だって野球のバッターも打つ時以外もずっとリズムをほとんど無意識なくらいに取り続けているのはご承知のとおり。
歌や演劇も全く同じ。ただし、体内でやるのだが、このエンジンをかけるために必要なのが体幹の強さとしなやかさなのだ。それがあれば、実は脱力など容易なことなのだ。難しいのは脱力ではなく、容易に脱力できるような体を作ること。
脱力の前提条件である体幹と柔軟性がない人の「脱力の話」
しかし、やたら脱力にこだわる人、脱力の話をする人の多くが、その前提となる、体幹と柔軟性がない。それはその死んだ目を見ればすぐわかるのだ。
あたまでどんなに難しい楽譜上のリズムを刻めて、難しい音が読めても仕方ないんだよ。ちなみに今まで会ってきた人間で、そういう意味での強弱によって音楽をコントロールできる人間は少ない。殊に声楽界やボイトレ界においては、体幹はあってもそこにリズム感がなかったり、体ができていないのに、やたら腹式呼吸にこだわってみたり。
それはボディはあるのにエンジンが止まっていたり、ブランコはあるけど、ぶら下げるフレームは壊れているようなものなんですよ(海外はそんなことないのだけど)
歌・演劇・声優はウォーミングアップと実践練習のみで良い!
ぞんざいな文章ですみませんでした。でも失礼ついでにもうちょっと失礼なこと、いや目を背けるべくではない事実をいくつか。
ちなみに、私はエンジンの掛け方ばかり伝えています。なぜなら、エンジンがかかれば、スイッチが入れば、その人は自分だけのタイミングとリズム感と、ワクワク感を作り出せるようになるからです。そうすれば想像力が豊かな状態になり、感性が起き出し…要はあとは生徒さんお方で勝手に上手くなってくれるからなんです。
だから僕の生徒さんはお腹に力を入れろなんて言わなくても勝手に入るし、気づいたら汗だくになってる。楽しそうに♪
そんなの信じられないという人は、そういうワクワク感を忘れているんですよ、きっと。
エンジンがかかって止まらない状態=ウォーミングアップ完了
ところが、なぜか歌や演劇のひとはエンジンがかからないまま発声練習や滑舌練習をして、それをウォーミングアップと勘違いしてしまいがち…。
逆にエンジンのかけ方がわかったら滑舌も発声も勝手に良くなっていくのですから、ウォーミングアップ→いきなり実践でも良いわけです。もちろん、勝手に上手くなって、個性もどんどん出てくるわけですから、こう歌えとか心をこめろ!なんていう必要はないわけです。
つまりそもそも歌なんて教えるもんじゃない。教えるとかおこがましいんですよ。生徒さんが自分で勝手に上手くなれるためのエンジンの掛け方くらいのもんです。
脱力まとめ
体幹・しなやかさ・リズム・スイッチ、エンジン…このように、脱力に辿り着くまでの苦労を知ると、脱力はおまけでついてくるものであり、方法論ではないことがわかります。
そしてその苦労を知っている人は、うわべの脱力奏法など、恥ずかしくて軽々しく口に出せない…はずなのです。しかし苦労を知らない人、つまり、できない人ほど…これくらいにしておきましょう。
あ、出来な人に限ってやたら専門用語を使いたがる…ごめんなさい!