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声は出すのではなく出るもの=上手くなる人とならない人の大きな差

上達のアドバイス

声は出すものではなく出るものです。「それがどうした!?」と思われるかも知れませんが、これほど大事な感覚はありません。この感覚の違いを理解しないと、一生涯あなたの成長を妨げかねません。簡単に言えば…

●声が出る→本当の意味で上手くなる(=自然で感動が伝わる本当の表現)可能性大。
●声を出す→どんなに正しい練習をして高い声が出るようになっても表現としてはつまらないものになる。

とんでもない差ですよね。声を出しているうちは、たとえ一見すいい声でカラオケの点数もよくても、またオペラでも高い声も出て立派な声で音程も正しくても…なぜか最初は誤魔化せても、全く感動が伝わってこないことがバレるんです。むしろ空虚だったり、場合によってはドン引きされたりする…

さてなぜこんな差が生まれるのでしょうか?

声が出る=自然現象、声を出す=ホラー!?

なぜこんな差が出るかと言うと、自然か否かということが一番大きいでしょう。

楽器に置き換えればわかりやすいですね。鍵盤を叩けば音が出る。ギターをつま弾けば音が出る、ヴァイオリンの弓を引けば音が出る。これは自然ですよね。しかし、演奏してないのに楽器から音が出たら…つまり楽器が自分で音を出したら…ちょっとしたホラーですよね。

もちろん出ると言うか鳴ると言うかの違いはありますし「ピアノが音を出す」というピアノを擬人化的に主語にした他動詞としての使い方もあるでしょうが、基本は「鳴る」「出る」ですよね。

声も全く同じことなんです。声を使う表現は体を楽器にするわけです。しかし、そこから音(声ですが)が出るのであって、出すのではないんですね。出すのは体の中の演奏者のセクションです。

このように、体の中に楽器と演奏者の二人を感じられるか、つまり自分を客観的に見れるかどうか。これが初心者が、最初にクリアすべき大問題なんです。一生懸命出している人は、演奏者不在の状態なんです。

自転車だって同じです。漕ぐ人がいて進む自転車がある。誰も乗っていない自転車がひとりでに進んでいたら不自然です。幽霊自転車ですね。

だから伝わらない、上手くならない、発声法をならっても喉が痛い、歌っていてつまらない

声は体がたとえばピアノのようになって、そのどこかにある鍵盤を叩くと音が出るのと同じように声が出るわけです。つまり実感としては「鍵盤を叩いたら音が出た」と同じ感覚。その感覚が掴めない人は「叩いてないのに音を出した」になるわけです。もう日本語がおかしいですよね。

これが動かないはずの楽器が無理やり自分で動いた状態…人間がその無理をすると結果として不自然になる。不自然だから、感動がない。

演奏してないのになぜ声が鳴るのか?もちろん喉に無理な負担を強いているからにほかなりません…結果として高い声が出ない、出ても苦しい、出ても不自然、なにより喉が痛い、枯れる原因となるわけです。
これじゃ歌っても読んでも楽しめないですよね。例え良い声を褒められてもコレジャナイ感に支配されることでしょう。

出しているうちは正しい発声法も役に立たない、一方出る体になると…?

声が出るのではなく、出してしまうのは発声法が間違っているから?呼吸法が間違っているから?

それは関係ありません。正しい方法というのは、体が楽器になって、それを演奏するもう一人の自分という感覚があって初めて成立するのです。成立していないと正しい方法は役に立ちません。どんなに正しい運転技術ががあっても、車が壊れてひとりでに暴走したらその技術は役に立ちませんよね。

これが声が出ると声を出すの差ですが、ポイントは思わず出る声から始まっているかどうか。驚いて思わず声が出るのは自然現象。「驚いたので声を出そう!」はその時点でおかしいわけです。

というわけで、それがどんな差となって現れるか、よろしければこちらの動画をご覧ください。この思わず出る感覚がわかると発声法も呼吸法も教えなくてもどんどん身につくんです。だから一流の人は専門用語なんか全然知らないし、何が正しいかも知らないのに、気づいたら正しくなっているんですよ。これはボイトレの落とし穴です。

自動的に歌や読みが上手くなるシステム(何を習うべきか?)

残念ながら、この出ると出すという一番最初に身につけるべき感覚を教えてくれるボイトレスクールも、声楽家先生も音大も専門学校も皆無に等しいのが現状です。

元から出すではなく「出る感覚」を持っているか、自分で見つけるか…だからこの最初歩で多くの人が脱落するのです。最初持っていたのに習って失う人も多いのです。脱落しまいと必死に声を出す、良い声を出す!…繰り返しますが、出した時点でだめなんです。

出した声でどんなに上手く歌おうが、立派な声だろうが、高い声や低い声を出せてもだめ。全ての楽器は結果として音がでるのですから。人間も例外ではありません。出す立派な声より、やっと出たフラフラな声の方がずっと価値があるのです。なぜならその人は最初フラフラでも、自分の中の演奏者と楽器がやがて仲良くなり、つまりちょっとアレな言い方ですが以下のシステムが成立します。

声が出るということ
自分の精神と肉体がちゃんと対話する=自分を客観的に見ることができる=自分で自分を教えられる状態=どんどん上手くなる

これが本当の意味での上達する人の正体です。欧米の人は習わなくても文化として身についている人が多いのですが、日本人は非常に弱い人が多いんです。習うべきは、この感覚です。そしてこの感覚を持っている人は、もっともっと先を習えばいいでしょう。

みんな…そろそろ目を覚まそうぜ!この感覚は誰にだって身につけられるんだぜ!上手いフリや悩んだ歌はもうやめだァ〜〜〜〜!!

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