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高い声や上手く歌うことより「話すように歌うこと」を追い求めれば結果はついてくる

上達のアドバイス

ボイストレーナーの浜渦です。かつては私も上手く歌おう、そのためには高い声が出れば良いのではないか!?…当時恐ろしく音域が狭かった私は、そんなふうに考え、理論を追い求めました。そしてやっとこさ高い声が出るようになりました。しかしただ出ているだけの使えない高い声が…。こういう悩みを持つ方へ、また今は全く高い声や、理想の声が出ない方へのアドバイスです。

高い声が出てもつまらない歌になっては本末転倒

高い声が出るようになった!しかし何か違う…こんなはずではなかった。

発声理論や腹式呼吸だけで出せるようになった高い声は、本来の目的である表現が高い声自体が目的全く感情や伝達という表現とは関係ないただ高い声が出てるだけ…そんな声だったのです。

つまり元々つまらない歌が、もっとつまらない歌に…これじゃどんなに正しい発声だろうが、いい声だろうが、誰にも伝わらない、自分の耳も気持ち良くない…それじゃただの騒音じゃないか…!?

高い声が出て、綺麗に声が出て、発音も音程もリズムも楽譜通り正しくて、腹式呼吸もできて、強弱もつけて…結果つまらない…というかヘタクソ…一体上手く歌うってなんなんだ?

話すように歌い、歌うように話す

皆さんへのアドバイスです。

別に上手くなくて良い。高い声が出なくても良い…けれど「話すように歌うこと」「歌うように話すこと」これだけは追い求めて欲しい。

これにつきます。話すように、歌うようにとは何かを突き詰め、学び、諦めなかった人は、上手く歌うのではなく、上手い人になるし、音域を頑張って出すのではなく、結果として広がってくるのもまた事実なのです。

声は表現という目的の結果であることを忘れないでください。表現が何かを追い求めれば結果はついてきます。

しかし、ただ良い声・ただ高い声、ミックスボイス…などという本来結果であるものが、その声自体が目的になってしまうと、音楽の神様がもしいるとするならば、きっとソッポを向いてしまうでしょう。

声に悩むと結果と目的を取り違えてしまうことは往々にして起こります。しかしそれでは本末転倒です。

そもそも第一線で自由に歌っている人は、呼吸法や発声法が理にかなっているにも関わらず、本人は気にもしていません…なのに理にかなっているのは、表現を追求していく過程で、その必要性から理に叶うようになったからです。

最近の理論的なボイトレはその手助けとなるでしょう。しかし表現を無視した「高い声の出し方」なんかに飛びつくのは大変危険です。

参考動画です。ぜひご覧ください。

【自分の無意識への挑戦】思わず脊髄反射のように出る自然な声を操る

「話すように歌う」というのは自分らしい「思わず出る」自然な声で歌うということです。

思わずというのは、何かに感動したり、驚いたりした時に出る自然な声です。熱いものに手が触れて、考える前に「熱っ!」というような自然な音程や発声など考えていない声。

本来感情の変化や驚きで「脊髄反射的に思わず出る声」を操ろうというのが歌であり、セリフなのです。つまり…

本来無意識な自然反応で出る息や声を意識的に操る…ここに人間にしかできない芸術表現があるのです。そこに持って生まれた才能は関係ありませんし、他人との比較は無意味であることはお分かりいただけるでしょう。
もし他人と音域や歌唱力を比較したければ、自由に無意識の声を操れるようになってからで十分です。それができる前に比較すると、ただ高い声が出る人がえらいとか、劣等感を持つ原因になってしまいます…

自然な反応を取り戻そう

自然な反応といえば、くしゃみなんかもそうでしょう。しかし現代人は、この脊髄反射的な思わず出る声も失っている人も大勢います。喉が詰まって痛くなるようなくしゃみをしたり、いざという時反応できずに逃げられなかったり…

私はこの本来の人間の反応の声から皆さんに思い出して実践してもらっています。なぜなら、それこそが基礎の基礎であり、思わず出る感動の声を思い出してからボイトレや歌を歌ったりセリフの練習をすると、結果がまるで違うからです。

自然な反応と呼吸と声…この組み合わせができれば、シャウト、囁き、地声で高音を張ったり、裏声と地声のスムーズなチェンジボイスなど、あらゆる声は出せるようになります。

そもそも自然界にある音や声から音楽や歌が生まれたことを考えれば当然なんですよ♪

ついでに立ち姿は美しくなり、演技も自由にできるようになります。

歌唱力=演技力=話す力であることを忘れずに…

自分の無意識への挑戦…自由な

無意識と有意識の化かし合い。それが難しくも楽しい、自分への挑戦となります。

自分の有意識の部分を騙せないと自然な反応の声は生み出せません。もちろん自分を騙せないということは、当然、お客さんの目や耳には「わざとらしく」伝わります。つまり不自然なのです。

ここに打ち勝てば声も演技も自由になる。それは当然のことなのです。

しかし無意識を無視した、ただ良い声や高い声が目的のボイトレや、ただ一生懸命なだけの歌を歌っていては…残酷だが本当の上達は望めません。

自由な声と思索を巡らせ思いを伝え音楽的であることは大変難しいですが、誰にでも挑戦できることです。自由だけど何も考えない、すごく考えるけど自由ではない。そんな人はごまんといます。無意識の自由と有意識の思考これが融合しての表現なのです。

 

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