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2026年も、理論と実践をつなぎ、感動を生み出す『腑に落ちる』ボイトレレッスンを

浜渦メソッドについて

2026年も、ここにしかない、「理論と実践の橋渡しをする=腑に落ちる」ボイトレレッスンを提供します。

目に見えない声を自由に操るために必要なのは、「自分もできそう」という予感と、「自由に声を出している自分」を想像できる、具体的なイメージです。

この具体的なイメージこそが、理論を導き出し、実践力を生み出します。
つまり、頭と体で納得する=腑に落ちる状態です。

具体的イメージを持つ練習が上達への第一歩

例えば、犬のフ○を踏みそうになって止まるシーンは思い浮かべられますよね(ごめんなさい)。想像できるから実践もしやすい。

その時になぜか、下半身の踏ん張りや上半身の力のぬき方も覚える。
なぜなら、そのバランスをとらなければ、踏んでしまうからです
(すみません💦でもこれ以上に切実なリアリティはありませんよね)。

こういう、生活の中で誰にでも起こり得るなんでもないことが、即、歌やセリフや、演技の実力に繋がる…これが浜渦メソッドの核のひとつです。

ですから、私のレッスンは、歌のレッスンなのに、ジェスチャーや、演技のレッスンかな?と思うようなものも多いのです。

なぜなら、歌唱力=演技力=話す力は、基本的に同じ能力だからです。
本当に上手い人は、歌い手が役者をやったり、役者が踊ったり、漫才師が声優をやったり、声優が歌ったりと、マルチに活躍されますよね。

これは、多彩といえば多彩ですが、しっかりイメージを持って、自分の体を知り(理論)、
体を動かす(実践)という意味では、同じ能力を多方面に向けていると言えます。

浜渦メソッドは、この多方面に活かせる能力を育てるメソッドです。
私はよく、表現しているついでに歌うという言い方をしますが、これは、
表現というイメージをしている間に、その力を歌に振り向けているという意味です。

「歌だけ上手くなればいいんだけど」「ちょっとカラオケが上手くなれば
そんな方も多いでしょう。

しかし私は、どうせなら、ただ上手い下手とかだけではなくて、
相手に伝わる表現、生徒さんのこれからの人生が豊かになるような表現
持ち帰って欲しいのです。

抽象的イメージや、イメージのない理論では本物にはなれない

イメージはあっても抽象的だと、生徒さんにはなかなか伝わりません。

たとえば空を飛ぶように、なんて言われても、
普通の人は、「飛んだことないからわからない」か「頭の中だけ」で想像しても、
体には影響を及ぼしてくれない。つまり実力UPには遠い。

また、理論的でも、「〇〇筋をこういう風に動かして」とか、「地声に裏声を混ぜよう」とか(これは非理論的か)、顎を何ミリ、角度は何度で動かすとか言われると、確かに具体的ですよね。

ですが、これまた普段の生活にはない行動であるため、イメージが湧かない。
湧かないから、バランスや、体の他のパーツを無視して、機械的に動かしてしまう。

結果として、自由な表現のためではなく、
発声のための発声でしかなくなってしまうのです。

大切なのは無意識の再現、そのためのWhyとHow

つまり、従来のレッスンは、抽象派・理論派とも、DOはあっても、HOWやWhyが抜け落ちていたんですね。
なぜ声を出すのか?なぜ歌うのか?なぜ自由に歌うのか?

自然な声や動きは、本来無意識に出るものですよね。
その無意識を再現し、さらにカスタマイズする

思わず出る自然な声、自然な動き、
それは動物の能力。

それをきっかけに、人間にしかできない、音楽やさまざまな動きに繋げていく。
これが声や演技の本来の姿です。

ただ上手くやろうとした人や、
最初から正しい音程を取ろうとした人は、
そこそこ上手くできても、本物にはなかなかなれない理由です。

それを無視した理論で高い声が出ても、それならあなたが出す必要はないじゃないかという話になるんです。
せいぜい高い声優越感を一時的に味わうくらい。

なぜなら、相手が感動しないからです。
その相手には、一番のパートナーである、自分の耳も含まれます。

昔のレッスンスタイルへの反発から理論に偏った私の失敗

ちなみに私の若い頃受けたレッスンは、抽象的でも理論的でもない、根性・精神派という酷いものありました。と言いますか、大多数がそうでした。

例えば、喉を開けろ、舌根を下ろせ、力を抜け、とだけ言われて(DO)、「できなければ、お前が悪い」でした。
それが、だんだん優しいけど抽象的なものがでてきまして、15年ほど前から理論派が増えてきたでしょうか?

例えば100回歌えば上手くなる、なんて言い方もありますが、
これは、すでにイメージができている状態でこそ意味はあります。
しかしイメージがなければ、喉を壊しかねません。

これは真面目な人ほど、この落とし穴にハマってしまうのです。

私は25年ほど前から、すでに理論派になり、どうすれば高い声が出るか、強い声が出るか、裏声や地声その間くらいの声(のちにミックスボイスなどと言われるようになります)を研究に研究を重ね、かつて1オクターブもなかった私の音域は飛躍的に増えました。

理論派になったのは、具体性のないレッスンを受けて、高額な月謝を支払いことに、
辟易していたからです。
ならば「私が教える側になってやろう」と。

技術が基礎を上回ると破綻する

…果たして高い声が出るようになり、下手だった私の歌は、上手くなったのか?
いや、ただ高い声や低い声が出るだけの非常につならない歌になってしまったのです。

つまり、私である必要が全くない声と歌。もちろん演技力はゼロ。
技術だけを先行させると確かに、そこそこのことはできるようになります。
しかし、後がどれだけ大変か。

つまり、私である必要が全くない声と歌。
技術だけを先行させると、皮ばかりが分厚い、中身のスカスカな果実になってしまう。

この「分厚い皮」を一度剥がす作業が、どれほど苦しいか。
私はそれを身をもって知っています。

感動はこうして生まれる

つまり、人間は、自分たちの自然な行動や生活から生まれた動きや力の入り方などを無視しては感動は生まれないと気づいたのです。
なぜなら、自然な感動や喜びは、生活の中からしか生まれないのですから。

私のレッスンスタイルは、理論派から見れば非論理、抽象派からすれば、
一見、論理的に見えるようです。

それは、私は、論理と、何も考えずに動く…その間にあるイメージに立って、
頭脳と、体の両方に向かって広げていくスタイルだからです。

体を自由に動かし、自由な声に繋げ、そこに言葉を載せ、
自分という表現を作り上げ
そこに楽曲や、台本を融合させていくというスタイルだからです。

このスタイルに行き着く人はほとんどいません。
なぜなら、これは、理論と実践の両方を知った上で、
その間でヤジロベエのように、綱渡りのロープの上のように、

バランスを取り続けなければ、レッスンが成立しないからです。
ですから、根性論や、かつて理論で教えていた時より、
頭脳・精神力・体力・想像力、あらゆるものが何倍も消耗します。

ですから、1日にレッスンできるコマ数も限られてしまいます。
そこまでして、レッスンする私のやりかたは、
お金の面から見ても、本当に効率が悪いでしょう。

しかしそれでこそ、生きている実感であり、
それでこそのボイストレーナーであり、
それでこそお金をいただく価値がある。

私はそう信じているのです。

偉そうにごめんなさい。
まあ新年一発目ということでお許しください。
(いつも偉そう?・・・)

2026年も、ここにしかない、「理論と実践をつなぐ、感動を生み出す腑に落ちる」
浜渦ボイストレーニングを、どうぞよろしくお願いします。

おまけ。ボイトレって言葉の違和感

最後に…ボイストレーニングって言葉…実はあまり好きじゃないんです。

ボイストレーナーのアンタがそんなこと言っていいの?
…って思われるかも知れませんが…

だって、発声、音色も、発音も、歌も、演技も、
気づいたらよくなるものであり、発声自体は目的ではなく、手段なのですから。

目的?それはもう決まってます。
皆さんに、人間らしく自由に、気持ちよく、
相手と自分自身にも届く表現をしていただくことですよね。

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