ボイストレーナーの浜渦です。たとえ歌が上手くても、高い声が出ても、カラオケの点数が良くても、それが生きた表現でなければ、音楽はしおれてしまい、相手には伝わりません。いわゆる「うまいけど伝わらない」人はたくさんいるのです。今日は、本当に相手に伝わるためのルールを絶対的ルールの一つをお伝えします。
「話すように歌う」より「話しているついでに歌う」
よく「話すように歌う」と言われますが、一体どういうことなのでしょうか。「話すように歌う」よりも話しているついでに歌っていると解釈すればわかりやすくなります。
つまり話していると歌うは同時に成立し、歌う時は話している必要があるが、歌だけになってはいけないということです。(これはレッスンでは見本をお聞かせするので、すぐにご理解いただけます)
では一体話すとはどういうことでしょう。歌うとはどう違うのでしょうか。詳しく解説していきます。
感動的呼吸+話す+歌う=自然な話すような歌唱
この感動の呼吸、話すような声、歌声とは、一体何か?それぞれ何が違って、お互いにどんな関係にあるのでしょうか。これが見えると「自然に話すように歌う」歌唱が見えてきます。
感動的呼吸は「初めて」「知らなかった」「今思った」を伝える
自然な歌唱やセリフに必要なのは、まずその呼吸に「初めて感」があるかということです。これも気持ちの問題などではなく、本当に初めて知って驚き感動した時に人はどんな体の使い方、動きをするのかを知り、実践し、身につければ良いのです。
これがでなければ、この先の話すとか、歌うという行為に感動は宿りません。感動した時の呼吸とは、単なる腹式呼吸ではありません。人は本当に感動した時や、何か大切なことに気づいた時、腹式呼吸だけでなく、脇腹、背中、肩まで使って、これらがシンクロしながら息を取り入れます。とりわけ脇腹は大切です。ここが固まると、どれだけ横隔膜を動かそうが、ワクワクした弾んだ声は出せなくなります。イメージとしては下の図(感動再現の吸気時)のように、脇腹は左右に広がりながらやや上がり、胸はやや落ち、肩も少し上がり、お腹の中心はやや下がり、背中側はやや猫背になります。
これは、これまでのボイトレで言われてきた腹式呼吸を頑なに守ろうとする方にはなかなか信じてもらえないのですが…。 一方、民謡やお経、瞑想の呼吸では、脇腹はあまり動かさず、横隔膜と丹田中心の呼吸になります。つまり、何をやるかの目的が違えば、当然呼吸も変わるのです。このあと、どのように口元まで届けるかというと、踏ん張りながら、この矢印が逆回転するわけです。しかし…「浜渦さんが『感動表現のレッスンは、文章でも動画でも伝わるものではない』というのがよくわかった」と私の生徒さんもそうおっしゃるので、ぜひここは体験レッスンを受けていただきたいところです。(宣伝みたいですみません)
凧揚げを想像してみてください。糸を引いて踏ん張り、凧をあげる。まさに、糸は息の管、踏ん張るのは、丹田や足腰の下半身、横隔膜は凧なのです。
感動の呼吸のついでに「話す」
感動的呼吸、新鮮な驚きの呼吸を再現し、それ失わずに声が乗ると自然な話し声になります。まだ歌声ではありません。
最近は少なくなりましたが、昔の通販番組などの「使用者の感想」はかなりわざとらしいものがおおかったですよね。わざとらしい話し方の一番の理由は、話し声に、鍵盤が見えるような音程が付いてしまっているということです。話し声にはイントネーション、つまり抑揚はつきますが、たとえどんなに標準語として正しいイントネーションでも、それが音符が見えるような声のトーンになると、途端に読まされている感が出てしまうのです。具体的には、呼吸が口元まで届いていないのに、声ばかり出てしまっている状態です。これでは気持ちは相手には伝わりません。
結果として、初めて感のある呼吸が消えてしまい、つけるべき抑揚と言葉を「初めから知っていた」感が見える…つまり台本が透けて見えるところに原因があります。あくまで感動の呼吸が出ているついでにその呼吸が途切れないように話すこと。それができれば、多少イントネーションが変わっていても、さらに、滑舌が多少悪くても、相手にはきちんと伝わってしまうのです。これは実は名俳優と言われる方に多いのですよ。
「感動の呼吸のついでに話す」ついでに歌う
さて、やっと歌うところまできましたが、感動のついでに話し、そのついでに歌うということですが、どういうことでしょうか。話す声というのは口元まで感動の呼吸がで続けているついでに出るものがそうです。このとき、話し声にも音程があるはずですが、人の耳は、それを鍵盤的・楽譜的なな音程とは認識しないのです。
その感動の呼吸と、それを口元に届けたまま話すというこの二つをキープしたまま、音程を楽譜通りの音程に修正していくことで話し声は共鳴というものを半分自動的に得て、半分意識的に加えて、歌声へと変化していきます。当然この時、口元に届かせた呼吸とそこから生まれる話す響きは残したままです。これは歌唱力とは何かの核心を書いています。文章では分かりにくいと思いますが、レッスンでは確実にお伝えします。
実は本来、鼻腔共鳴や体腔共鳴というものも、ここで自然にほとんど身につくものなのです。(繰り返しで恐縮ですが、浜渦メソッドは、あくまで自然のルールに従うことで、必要なものが身についていく、本質的かつ、これまでのボイトレや声楽レッスンとは逆転の発想のなのです。)
しかし、これは慣れるまで人によっては容易ではありません。毎ブレス後、ほぼ確実に、感動の呼吸と話し声という自然表現を順序よく、バランスよく挟み込む必要があります。このバランスがこれまでのレッスンではほとんど教えてもらうことができなかったものの一つです。当然最初は時間がかかり、なかなか素早く再現はできません。しかし、そうはいっても、早い人ではその日のうちにできてしまいます。どんなに遅くても1年もやれば全て身につきます。
逆にこれができないと、何年、何十年、どれだけ練習しても、正しい呼吸法や発声法を研究してッミニつけても役に立たず、ほとんど上達しなかったり、下手なまま、という恐ろしいことが起こってしまうのです。そしてそういうひとは実に多いのです。
この3つのたし算ができると、たとえ今はまだ高い声が出なくても、自然な話声に助けられ、たとえ声が枯れても、呼吸に助けられ、相手に伝わる歌となるのです。そして、これを続けることで、声を傷めることが減っていき、音域もどんどん広がるのです。これは私たち人間が動物である以上当たり前のことなんです。
感動的な呼吸を吸うことができなかったら?
浜渦メソッドでは人が思わず感動的な呼吸を吸う時の体を再現することで、体を楽器化してしまいます。しかし、疲れていたり、体の不調でそんなに感動的な呼吸が吸えなかったら?もちろん、感動的な呼吸も吐けません。しかし慌てないでください。
もし、いつも100の呼吸を作れて、90の話声で、80の歌声なのに、今日は10の呼吸なら?
もちろん、10の呼吸なら、9の話声で、そして8の歌声で…
大切なのは、呼吸>話声>歌声です。大元には、感動の呼吸>それを捕まえる重心の踏ん張り>踏ん張ったまま息を届ける吐く力>声というルールもあります。このバランスとタイミングについては下記の記事をご参照ください
結論「話すように」が「歌唱力の要、音色の良さ」を「音色の良さが、自然な音程の良さ」を導く
これはあるSNSに寄稿した文ですが、これは歌唱力の要素の中でも最重要項目です。前項で書きましたように、感動の呼吸に話し声が乗ることで、自然な音色が生まれます。その音色は鍵盤を感じさせない、音程を感じさせないものです。その自然な音色と歌声の響きが混ざったり、行き来することで、声はたとえ楽譜の中の音程をほぼ守っていても、大きく自由羽ばたき、音楽を動かして人のみ耳に届くのです。
もっと言えば多少実際の(機械的に測った)音程が甘くても、その音程を(人の耳にとっては)輝かせてしまう…逆に言えば、どんなに音程を正しく取っても、それが不自然なものであれば、人の耳には気持ちも悪い音程として届いてしまうのです。この時指導者は音程が下がっているとか、上ずっているなどど言ってしまっては絶対いけません。悪いのは音色です。つまり、自然な呼吸の話し声がそこにないのです。しかし、そんな「あっていても気持ち悪く聞こえる音程」も、音色を作れば多くは解決するのです。
浜渦メソッドについて
レッスンでは、独自に研究開発した「声と体と呼吸のバランスとタイミングを知り実践すればどなたでも才能に関係なく、感動を伴って上達する方法(浜渦ボイトレメソッド)」をお伝えしています。これは、これまで手をつけられていなかった基礎の基礎でありながら、自然に呼吸も発声も身について、歌唱力やセリフ、会話力、コミュニケーション能力といった表現力全般をあげるこれまでにない、ボイストレーニングメソッドです。その特徴である、人間の自然な感動を具体的に再現する過程で呼吸法や発声法、ミックスボイスや高い声なども自然に、必要と意味のあるものとして身に付きます。
感動的な声、伝わる高い声を出したい方はもちろん、体をごく自然に逆らわずに順序よく使い切るので、息が続かない、喉がすぐ痛くなる、歌が楽しくない、といったかにもとても効果があります。また、声と呼吸と体のバランスができることで、音痴も治ります。せっかく持って生まれた体を、ぜひ使い切ってください。胡散臭く聞こえるかもしれませんが、きっとこれまでにない、ワクワクした人生が待っていますよ!
皆様のご参加をお待ちしております。
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