すべての表現者のために「腹式呼吸とブレスコントロール本当の意味と意義」公開

「本当に上手い人は上手く歌おうとしていない」偏差値・数値化偏重の世の中にひとこと

ボイストレーナーの浜渦です。
今日はfacebookページの記事をご紹介しつつ、今の加速する偏差値・数値化社会に一言。

実は「上手く歌おうとする行為」自体が不自然

本当に上手い人は上手く歌おうとしていません。なぜなら上手く歌おうとする行為がすでに不自然だから…つまり下手になるから。上手く歌おうとして上手い歌はカラオケでは良い点が取れるかもしれませんが…
だから上手く歌おうとしているうちは本当には上手くならないのです。
声なんてこんなもの(註:この記事の最後に載せた私の声です)で十分です。わたしはうまく歌おうとはしていませんし、良い声を出そうともしていません…ただ、あふれるのを待っています。
たけどうまくもないし、良い声でもない。ええんですよ。自分が納得できれば良い。人の評価やカラオケの評価は二の次です。そんな相対的な、偏差値的な歌はいりません。歌は絶対感が大切だと考えます。

facebookページより

ますます加速する偏差値、数値先行の社会に対してひとこと

学歴社会ではないと言われて久しいですが、実際の世の中は、AI化の影響かはわかりませんが、ますます人間を数値化して、なんでも点数をつけ、それが信用やステータスになっているのではないでしょうか?
これは自由に生きる、自由に歌うという世界からは対極のように思えます。

人を見ずに人の「数値」を見る世の中

昔は、お金も不動産など、その人を出自を見るような嫌な部分もありましたが、反面「人を見る」ということも生きていました。つまり「今はお金はなくてもこの人になら貸せる」というような部分があったのです。
しかし、今は、その人の姿は愚か、声も聞かず、数値化された社会的信用やステータスのみでいろいろなことが判断されます。

一度落ちたらますます這い上がれない。這い上がるためにその数値が必要であり、這い上がらないと数値が得られないという矛盾を孕んでいるからです。

芸術は数値では表せない

ことに、表現者という非常に素晴らしくかつ胡散臭い人(!)人を見て判断するしかないような職業とも言えます。
芸術はもっとも数値で表すことに意味のない世界ではないでしょうか?
(いや、人を数値化して良い世界などないでしょうが…)
もちろん第一線のブレイクした人は除きますが、芸術の世界はピラミッドです。下で支える人たちは、あらゆることが機械的に判断される現代において、苦しんでいる方が非常に多いのです。

こういうと「好き勝手なことをやったんだから自業自得だろ」という意見が出てきます。
半分納得、半分不満です(笑)
先ほども言いましたが、芸術の世界も、TOPはちやほやされます。しかし、それはそのピラミッドがあってこそです。
また、自分の意見を捨てて、ある程度迎合して生きていければ食っていける人は多いでしょう(最も芸術家・表現者がやってはいけないことだと思いますが…)
そこを海外では理解している国が多く、たとえ二流、三流でも本物でさえあればそれなりにやっていけます。
また、何よりやり直しがききます。

これは海外では「おらが国のすばらしい芸術と誇りを進化させ、支えてくれている人たち」というリスペクトがあるからかもしれません。それは芸術系の大学も大抵無料で学べる、というところにも表れているでしょう。
ただし、真面目に本気で取り組まないと、あっという間に放り出されてしまいますが…。
それでも別の世界でやり直しはききます。

先述の通り、日本では、主義主張を通す人はなかなか生き残れません。その結果、非常に素晴らしい一流かつ本物の能力を持ちながらも、深夜のアルバイトでなんとか食いつないでいる人も多いのです。主義主張を持ってこそ、通してこその芸術家であると思うのですが、今の世の中、本当にそれは難しくなっています。

いや、それでも超一流になればいいんだ!などという方もいらっしゃいます。まあ、これについては、繰り返しになりますので、ここまでにします^^;

点取りゲームのお手軽ボイトレは、本当はやめてほしい

最後になりますが、カラオケの点数を上げるためのようなお手軽なボイトレや人よりただ高い声が出せるようになるための、そんな意味のないボイトレは、なるべくならやめてほしいのです。(それは講師側には特に言えることです。)

歌はもっとも数値から解放されるべき世界の一つだと思っています。もちろん、商業が絡むと、少し話は変わりますが、みなさんがアマチュアであるならば、なぜ歌うのか、なぜ高い声は素晴らしいのか、そもそもどんな時に人は素晴らしい声を出せるのか、それを考えてみてほしいのです。

今現在、この瞬間の生き方の結果として、呼吸が生成され、そこから声が生まれます。
つまり、声は、歌は、あなたの人生を映し出すものなのです。
それが、点取りゲームであるならば…。

社会で生き抜くための、ある程度の点取りゲームは否定しません。でも、人生のどこかに、歌でなくても良いですから、偏差値から、数値化されたものから解放された時間を作ってほしいのです。

おまけ「高架下にて」オペラアリアの一節を

私よく歩きます。お散歩の途中、ちょっと響く場所を見つけると、ほんのちょっと声を出して、ポジション確認をします。いい声かどうかとかではなく、気持ちよく自分の耳に届いているかを確認するだけです。

他人の耳も大切ですが、客観的ける「自分の耳」はもっと大切なんですよ。

私は、ポップス・ロック、オペラ、時に演歌やジャズも歌います。でもそのジャンルを大切にした、その時の気持ちを表す音色で。

もちろん、オペラの声で演歌やポップスは歌いません(笑)でも、オペラなら、テノールからバスまで全部歌います。まあ、それくらいできないと、本当にはレッスンできないという事情もありますが…。だからボイストレーナーって気軽になろうとする人が多いけど、本気でやったら結構大変なんですよ(笑)1レッスンにかけるエネルギーは1ステージ以上。そうでないと、プロのトレーナーとしてお金はいただけません!

HIRO
HIRO

1レッスンにかけるエネルギーは1ステージ以上!これ本当です。昔はあまちゃんのレッスンをやっていたためか、そんなにエネルギーを「使うことができかった」のですが^^;

だから1日に何人もレッスンできなくなりました。ペース配分なんてしたくありませんしね♪

コメント

タイトルとURLをコピーしました