絶対音感、きれいな声、良い声、それらは非常に便利です。しかしそれも生まれる声自体に必然性がなければ…。言いたいこと言います。
その声に必然性はあるか【30秒アドバイス】
正しい音程より善い音程を。
ただの脱力より力ある静寂を。
良い声・きれいな声より必然性のある声を。
本当にうまくなる人【更に詳しく】
歌は善い(正しいではない、良いよりもむしろ「善い」)音程を、空気を支配するような静寂を、その静寂から生まれる必然性がある声を探す過程で上手くなり、うまくなる過程で呼吸も発声も「腑に落ちて(頭と体の両方で)」わかっていきます。
これは本当にうまくなる人や、活躍し続けている人に共通していることです。なぜならこの過程を研究したり教えるのは非常に困難です。そのため、なかなかこのことを信じてもらえないのです。「その人は才能があったからできたんだ」とか「凡人はやはり正しい発声から」と逃げられてしまいがちです。
その結果、あとからだんだんわかるはずの発声と呼吸法に執心してしまい、正しいはずなのに、合っているはずなのに、感動がなかったり苦しかったり。
中には私のように、芸大なんか下手に入ってますます分からなくなり、怒られて萎縮したりする人も多い。なまじ持ち声が良くて絶対音感なんかあると大変です…いや、大変でした。必然性のある声に音程なんかあるはずがありません。音程は、その必然性のある声から瞬間的に耳で探し当てるものなんです。その距離感こそ大切なんです。
しかし特に声楽の方からですが「そんな声じゃ生声で通らない」とか言われます。ちょっと待ってください。オペラでもアリアの中でもささやき声を使う歌はいくらでもあります。もちろんオケがフルで鳴っているときは厳しいですが、全部吠える歌なんてありません。
簡単に言えば、発声や呼吸法の能書きを垂れる前に例えば「ホールの一番うしろまで届く緊張感のあるささやき声」「息の音が客席全体に届くようなワクワクしたナイショバナシの声」という「ピアニッシモを出してみろ」ということです。
それは腹式呼吸ができたくらいでできるはずもありません。
共鳴を学んだところでできません。むしろ、内緒話の声は共鳴は外さないといけないのです。
お客さんはあなたの呼吸を聞いていると思ってください。
方法論から入った人、頭でっかちにならないよう気をつけましょう。
そして先生方。人は「気持ちをどうこうしろ」とか「話すように歌え」と言ったり「見本を見せたくらい」ではできるようになりません。それでできるくらいなら習いには来ないはずなのです。