正しい発声法は簡単?難しいのは楽器化とバランスだ!
ボイトレやボイトレ本で習った理論・方法論は忘れません。ノートに書き留めておいたり、録音すれば良いだけです。だから高い声の出し方も、ただ出ればいいということであれば、これは意外と多くの人が簡単に覚えることができるのです。
しかし、それが実戦につながるか、その高さに意味があるかどうかは別だです。
意味のある高い声には、音色の幅と密接な関係があります。例えば、音色は暗くなっていきながら、音程は上がっていく…暗くなった音色が元の明るさに戻るときに、さらに一気に音程があがる…こうすることで、実際の音程の高さよりも、人には音色の幅=明暗、密度、スピード感などを聴かせることができるわけです。
音色とは、ただ綺麗とかそのジャンルっぽさではないのです。
そしてこのの音色の豊かさにこそ、人間が驚いたり感動した時の気持ちが表れるのです。これこそ表現の肝です。ただ上手く歌うか下手かどうかなんていうことは、表現を彩りはしても、その素晴らしさとはあまり関係ないのだと思うのです。
この音色の幅を利かせる要素は以下のようなものが必要です。
- 体の楽器化
- 重心のコントロール
- 音色を判断する耳の良さ
- 体のパーツを使うタイミング
- 上記全てのバランス
この楽器化とバランスこそが難しいのです。自分の能力や、目指すものが高度になればなるほど、このバランスはどんどん難しく、さらに忘れやすくなるのです。しかし、このバランスは人が本来もって生まれたものなのです。つまり誰でも才能に関係なくできることです。
しかし、そのバランスがどんなものなのか、楽器化って一体なんなのか?それを知り、理解し、実践しなければ当然身につきません。さらっと歌える人は、このバランスを掴むのが早かった、習う前から持っていた人が多い…と言えるでしょう。
つまり、このバランスを指導できるかが、あらゆるトレーナーにもとめられていることなのです。
正しい発声や呼吸法を教えるだけなら誰でもできるとも言えます。
しかしそういうお手軽なものを教えてしまうのは「罪なこと」だとも思うのです。そういう表現のない高い声やうまいふりをしたような歌に意味があるのだろうかと…。
もちろん、高い声がそこそこ出さえすれば良いという人や、ちょっとその気になればそれでいい、人を感動させたいとは思わない…という人にとっては良いでしょうが、目的が伝えること、自分を生かすこと、感動を自ら生み出したい人になることである人にとっては、上手く歌ってる風の歌なんて…屈辱的なことですよね。
そんな「なんちゃっての高い声」を出すくらいなら歌わない方がマシだと思う人は多いはずです。
浜渦も「高い声さえ出ればうまくなる」と思っていた時期あり
さて、ちょっとここで私ごとを…実は私もとにかく高い声を出したかった一人で。高い声さえ出れば「シアワセになれる!」そう思っていました…。しかし実際にはなれませんでした。多くの人はそうなんです。方法論で体をそこそこしか使わない高い声というのは、広がりも伝達もない。そもそも体という楽器の何分の1かしか使っていない…気持ち良いはずはないですよね…